今日うちの叔母と話していて…ふと気づいたんですが
何度も言った事あるんですが、うちの母親の妹なんですが、昔から母よりよく会っていて会話もしている叔母
やっぱり母親と考え方とか価値観とか基本よく似ていて、私にも共通するところもあるかなと客観視しているんですが
私の祖父母にも当たり前ですがよく似ている、というか混ざっている(当たり前かな)
なので凄く理解できる事もあったり、叔母と話してても母親の事を新たに理解出来たり、姉妹でも性格は複雑に違っていたり、色んな意味でプラスマイナス共鳴し合っていたりするんだなと (^.^)
昔は私もそんな考えだったなぁ~そしてそこから理解も広まったなと思ったり
対話の時の人の言葉や思いまで勝手解釈してマイナス或はネガティブモードに捉える
そして、勝手に「可哀想だな」、「哀れだな」、「そんな風に思わなくっても大丈夫やん」…なんて感じの言葉が返ってくる
「えxx??」
返ってくる返事のニュアンスが全く違うからこちらは「あらっ?」って思う
そんな風に言ってないのになぁ~
そんなアドバイスをもらうような事一つもなかったでしょ~って思うんです
長年話してて何か違和感があったのはこういう事だったんだ
それに自分の世界の中だけで回答を出そうとしてるので大変なんだろうなと。
母親もそうなんですが (^_^;)
自分の知らない世界とか、自分の範疇の答えと違ったら嫌悪感を現すんです
その上他人の分の思いや言葉までネガティブに捉えていたら疲れるだろうなぁ~と
結局は自身がネガティブなんだろうし、ネガティブの種は自分の中に在るからだろうけど
倍も何倍も疲れるだろうなと
母親もその嫌悪感の表現が強いので必要以上に問答する事を私は避けていますが
叔母も年齢を重ねるたびに強くなってきていると感じています
大好きな叔母なんだけどなぁ~
子供達もそれぞれ結婚で独立し、ご主人に先立たれてとなると、孤独という意味で寂しさも出てきたりして自分に籠る事が大きくなっているんだろうなぁ~
人間のそうなって行く過程を感じます
この叔母は人との付き合いも多く人との対話も接点も多いだろうに、元々のエネルギーが大きいんでしょうね
それがこの過程でエネルギー分も籠って行き出すと、
広く大きな中での孤独と気づきとなれば難しいんでしょうね
いつでも自分自身の器を知り、常に概念を広くしておかないと、
そういう心磨きと心積もりで素直に柔軟にいないといけないんだなと
同じ血筋だけに凄く教訓になります
いや、教訓にして学びとします (^.^)
やっぱ血筋は血筋になりに縁があるんですよね、自分の学びに。
結婚式で親族紹介とかありますが、、結婚って二人だけのものでもない、親もそのまた親も、親戚も親族も、普通に出逢うより強い縁があるのかも知れません (^.^)
感謝ですね (*^^*)
そして…
そう思うと…色んな人と話してても後に「こんな事言ってたよね」って、人の話を勝手解釈したことを言われる事があるけど、そんな風に受け取ってたんだと思う事あるのがこういう事だったんだ
人と話すのも難しいもんですね
捉え方はいろいろだと分かってはいるけど
ホント、自分からでた言葉はもう分離で、独り歩きするんですね
気をつけないと (^_^;)
まあ人との付き合いに臆病になっていてもあかんので思いやりと気合で頑張りますね (*^^*)
それと、人との付き合いのソーシャルディスタンスですね(*^^)v
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