心の取捨選択という話をしています。
その中には人間関係でも行われる。
物でも心でも人間でも、何でもですが、
「捨てる」という言葉って、ある意味罪悪感を伴ってしまう時があるという話をしていました。
捨てるとか、別れるとか、手離すとか、離れるなどって、
考え方によったり、価値観によるとイメージがマイナスに感じたりします。
私の時代の昭和の意識でも勿体ないとか、大切にしなくちゃいけないとか、が優先していたので、何だか酷く冷たいイメージになったりします。
でもその捨てるとか別れるでも根底の心を観ると全然違う見方が出来るのも正解でプラスなイメージにもなります。
自分の罪の意識をもつ、人に気を遣う、人を優先する、
そんな事も良い事だと育ってきた時代です。
でもそれが自分の心を痛めていたらどうでしょう。
その上、自分の事は置いといてという考えで進めた方が良いとも言われてました。
人間関係を構築していく上で、たくさんの場をシェアし、グループや組織をシェアして、中々その場所から離れることが出来ない人も多い。
何でも引き受けてしまったり、何でも断れないでいたり、
どこにでも入ってしまったり、
そして自分の中の違う理由に縛られて離れることも出来なかったりするという。
自分の居場所を見つけるにも取捨選択できない。
それは孤独に向き合えないからでもあったり、
人と融合できない身勝手かなエゴを手放せなかったり、
そんな根底の心がそうしている事にも気づけないまま
既に自分のキャパオーバーという事にも気づかずにです。
根底にある心の呪縛に縛られてです。
そんな話を知り合いと数日前にしていました。
サークルに入っているけど、何だかそのサークルの意識が自分に合わない。
その意識というのは別に悪いとかではないけど、
ただ自分に合わないだけなんだけど、
昔からあるように、友達に誘われママさんバレーなどに入ったものの、遊びながら楽しくやりたいと思っていたのに、何だか試合に出て勝とうと凄く一生懸命のグループだったと。
でも中々その理由を言いだせないで心を合わせている。
段々その仲間と付き合うとお金もかかって自分とは価値観も違うと知る。
だけど言えないとか。
誰に気を遣っているのか、誰を優先しているのか、ってなる。
こんな時にも自分にハッキリ理由があって、ハッキリ言えたらいいけどって。
どう思われるかが気になったりね、いろいろ罪悪感も出てきたりね!
そんな人は自分の心も観えなくなるし、キャパもオーバーになるし、考えているうちに眠れなくなるし、悩みが深くなるし、病んでしまうと (>_<)
意外とこんな中では取捨選択できるのに、ここでは出来ないとか、
その心も色々ですからホント自分の心は自分で向き合わないといけませんね (^^;)
それをとやかく言われたところで、自分が病むよりましで、
人の噂も七十五日と同じように昨日も話しましたが、
遠く過ぎれば全部自分の気付きだったなと感謝に変わるもんです !(^^)!
旅の恥は搔き捨てというように、
人生の一時も過ぎてしまえば消えている、みたいな (*^^)v
自分の心と、自分の気づきと学び、
それらに感謝出来たら魂の満足を日々に感じられるのかなと思っています (^.^)
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