
詮索はとはまた違いますよね
これも概念かも知れないけど、詮索って、何か思惑が働いているような気がします
この思惑は自分側の意識が働いているので、分析するのには感情と同じく邪魔になるものだろうなと思います
事実に基づく分析には邪魔する感情は無いと思います
だから楽しいし、
それを思い込む事も無いし、分析して人にそれを言う必要もない
相手を理解して、人間の意識の概念を広げる要素にするだけ
人の心をジャッジする事も無い
それは「良いとか悪い」の概念を自分の中から取っ払う事が土台である
ジャッジするにはジャッジする側にその基準があるだけ
その自分の基準を知るために在るのかも知れない
自分の概念が狭くて人をジャッジしていると人のエネルギー(意識)も自分に取り入れてしまうし、自分の意識とぶつかり合うので疲れて来るんです
人の分析するに重要な事は
自分を尊重出来ているか
人のそれぞれを尊重出来ているかが基本です
そして人の心を分析し、人を尊重していくとどんどん自分以外を理解できるようになります
そうすると自分の事ももっともっと理解出来て自分の事をもっと愛おしくなる
そんな充実感が奥から溢れ出て来る
こんな事を聴いている人は、それは自己満足でしょって言うかもしれませんね
でも自分が満足しないと人生楽しくないですよね
先ずは自分が満足しないと本当の意味で人へ与える事も出来い
人に与えるに関しては、先に人へ与えて与えているうちにそれが歓びにもなりますけどね
どちらからでも向かうところは同じです (^_^;)
趣味であっても自分の成長に繋がり、それでいて楽しいって良いですよね
人をジャッジしないって平和です (^.^)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます