観念するとか覚悟するとか、そんな話を続けていますが、
堅苦しい言葉で人生を縛りたくないのも正直な思いですね。
常に崖っぷちだと思っていないし、常に窮地に侵されてるなんて平穏な日々に感じることも無い。
まあだからこそその根底にしっかり持ちながら生きましょうという話でもあるのですが、
人生は「すべての中に一つがあり、一つの中に全てもある」というのと同じ、陰陽もそう善悪も正誤も何でも同じです。
広がり過ぎれば奥が見えなくなり消えるし、奥ばかりに深まれば広がりが見えなくなる。
平穏であっても奥に覚悟もあり、観念(今の心も観る)して真剣に生きる。
それでも楽しいが良い、歓びが良い、感謝が良い、愛が良い、優しいが良い、穏やかが良い。
若い頃にはエネルギーを寂しさや怒りや悲しみや悔しさや惨めさを感じることに費やしてきたり……
知っててわざとそれを知りたくて求めていたのかも知れない、
だから一生懸命向き合って理解して納得して手離してきた (^.^)
覚悟してまで観念してまでそんなエネルギーにしがみ付いていたくないもんだと……崖っぷちまで行って気がつくんですね (^.^)
ふり幅が小さいか大きいかは色々だったけど、バランスだったんだ。
反対側を知ったから初めて自分のバランスが取れる。
反対側だって自分だって理解するから納得できる。
その崖っぷちにいて窮地の時に素直になれなくて天邪鬼で心ない言葉を発したり行動を起こしたり、真反対に開き直ったりして自分の思い通りの奈落や地獄へ堕ちる人もいますが、
そこからでも這い上がる人はいます。
ただふり幅がものすごく大きいだけ。
それだけそんな人はエネルギーが大きいのでしょう。
大きいエネルギーの持ち主なのかも本人は気づいていないのでしょうが。
そこまでいかないと観念できなかっただけですよね
その時の自分をしっかり観る。
それが観念するという事で覚悟する事。
自分が悪い事なのか訳わからない事をしてその説明すらもしないで、逆切れして人に覚悟しとけよと脅してくる。
えっ?その覚悟って何なん?って思ったけど、
いつも何度も覚悟しろよって言われたので、そのたびに覚悟って何かなって考えて、覚悟を決めていた!!
そんな事言っても自分の心を観てない人は逃げてまた同じことを繰り返す。
反対にモノ申したい、観念しろよって (^^;)
そんな事がありました (^^;)
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