緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

覚悟を見せる

2023-05-19 | スピ的視点
  昨日は「観念する」という言葉についての考えの話でもありました。
言葉って聴くだけの耳から入ってくる情報とか、文字の眼から入ってくる情報と、それとイメージと意味と概念というものがあって、自分の心境のタイミングによっても変わるし、その状況によっても変わる。
捉え方によっても考え方によっても変わる。
それにその捉え方の深さによっても変わりますね
そんな事に通じる話でもありました。

そう思うと何でもすぐに判断できるものでもないし、
判断決断しなくても良いし、
そのタイミングが必須で必然なんだなと思うのです。

「観念する」って覚悟する意味でもあって、
どん底や窮地に陥って初めて観念するとか、
悪事を犯して捕まってもう逃げられなくて白状するというイメージだと話していましたが、
なにも悪事を犯した時だけではないですよねと言いました。

現代では窮地に追い込まれてもどこか逃げ道があったりする事が多いですと。
捕まって刑を告げられても法律の中の人権が守ってくれたり、
病気や命の宣告されたとしても医学や介護で選択する道が多かったり、

窮地とか崖っぷちが増えているようでも選択肢も同じぐらい多くて真摯に向き合う場面に直面する事がどれだけあるでしょうという話でもありました。

この4年間のコロナ禍でもです。
命、持病、生活習慣、人間関係、お金、仕事、家族……そんな事にそれぞれが直面したと思います。
その直面したことにどれだけ真剣に向き合ったか、
中には崖っぷちに立たされて覚悟を決めた人もあるかと思うけど、
その根本にどれだけ自分の答えや意見や哲学を持てたか。

人間は肉体に魂が入り命を与えられます。生命が生きます。
それと同時に命の期限も与えられ、それまで生かされます。
命を与えられた瞬間に死と隣り合わせだと覚悟を持って生きるはずだったんです。
あまりにも覚悟も忘れ、目的も忘れ生きてしまっている。
終いには魂が肉体から離れ肉体はボケて現実離れで生きてしまう羽目になっている。
生きる覚悟も忘れ、死ぬ覚悟もなく、往生際悪く死ねない。
そろそろ観念しろって瀬戸際や崖っぷちに来てるぞという時でも自分の意志も確認することも無く他人任せでもある。
死なせて下さいと言って死ねるものでもない。
そんな時の覚悟もない。
肉体と生きている魂は命の期限を知っているので精一杯肉体や肉体の心に伝えているというのに。

自己肯定感が低いという話をしていて、それがいろんな事に影響を与えるという話をしていましたが、

コロナでもたくさんの命を失い、大きな災害もですが、
そこにもたくさんの学びや気付きがありました。
人口が減り、少子化も問題となっています。
政府にすれば結婚すれば子供が出来るの当然の様に、
子育てに掛かるお金や教育や婚活やとなんかズレてる政策ばかりのような。

もっと深いところに闇や原因や要因があるというのに
それこそ政治家の覚悟ってどこに重きを置いているのかなって思う事もある。

私もだったけど、自己肯定感が低い大人も若者も多い。
潔癖症も多くなってる世の中。
潔癖症というのは自己強迫観念でもあり、
自分と他者や社会との境界線でもある。
それらが偏り歪み行き過ぎている表現でもある。

そんな世の中でどう人と繋がれるんだろうか、
人とどうやって生活を共にしようと考えるだろうか、
人とどうやって何を共有したり分け合ったり分かち合ったりできるのか。
どうやって肌を触れ合おうとするだろうか、
実際自分を認められなくて自分をいさめ自分を痛めつけている人が多い、
自己肯定感低くてどうやって自分を認められるだろうか、
親からも社会からもどう認めらているかも分からないのに、
その社会に人と共に歩もうとか家族を作ろうと出来るのかなと。
家族を作ったとしても、作るだけで精一杯で心を共有する事もせず、また認められず認めず我慢して。
その精一杯な事にどれだけの覚悟を持てるんだろうか。
そんな大人の社会を観ている若者にどんな希望が見えてるんだろう。
そこには希望もなければ夢も見えない。
ただ勉強するだけ、ただ働くだけ、ただ子供産むだけの世界にどうやってどんな風に自信もって覚悟して入って行こうと出来るのか。

大人たちも社会も人類がもっと覚悟を知って潔い覚悟を見せて行かないとアカンかも知れません。
昔は決めつけて言い聞かせるだけでどうにか引っ張って過ぎてきたけど、
それが当たり前だと信じていたころは……です。
そんな大人たちが見えない世界や観えない心を無視してでも決めつけてこの道だぞとそこに子供たちを追いやっていたから飛び込めたけど。
見えない世界や観えない心はいつしか迷うに決まっています。

だから不安や心配やそれに伴い怒りが積み重なって来た。
その繰り返しで現代までやって来たけど。
続くわけもない。
意味もなく見えない世界に入り込むだけの覚悟もないから拒否するのも分かるような気がする。
どこか家族や親の愛でしっかり繋がっていればそんな世界に飛び込もうと出来るかもしれないけど。
そう育てていれば子離れも親離れも出来るかもしれないけど。
そんな愛の絆の糸は細くて薄くてすぐ切れちゃいそうでって。
飛び込む覚悟なんて中々できません。
バンジージャンプなんて怖いもん (;´Д`)
飛び込む事よりロープが信用できませんみたいな (^^;)

もっともっと信頼とか信用とか大人の世界にも広がれば良いなと思うのです。
もっと大人たちが覚悟してこっちだよと呼んでやれば……
結婚の事も子育ての事も考える若者が増えるかもしれない。
命を懸けての覚悟を見せてやれば変わって行くかも
カルガモのお引越しの様に (^^;)(毎年感動するのです)




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