観念と覚悟についての話をしています。
何でも振り幅がありますが、どんな振り幅でも同じだけエネルギーを使って体験します。
そしてその体験や経験が人間の成長を促してくれる。
考えや行動や物事に関してその限界が来た時、崖っぷちに至った時、窮地に陥った時に人って開き直ったりします。
その時に観念する!となったり、覚悟をもって腹を決める。
昔なら切腹するってそんな時だったりしますが、
今の世でも、人間関係でも腹を割るとか、腹を見せるとか、腹を固めるとか、腹を決めるとかって、ある意味切腹ぐらいの覚悟がいるもんなんですよね。
腹を切ってすべてをさらけ出す。それぐらいの覚悟。
すんなり切腹するだけでは覚悟というより逃げると同じになるので人間の成長にもならないので切腹が進化してきたんでしょうね。
死を選ぶぐらいなら何か違う事を考えなさい、腹を見せなさいという感じでしょう。
崖っぷちに立たされ、窮地に追い込まれるという
限界まで行くと上がるだけしかない降りるしかない落ちるしかない広がるしかないんですよね。
限界が壁で崖。
限界に来るって、人間で言うと心でも体でも限界をぶち破るしかない。
掴んでいるものを手放して広がるしかない。
そしたらまた掴める。
実際今掴んで執着して拘っているものをしっかり見るって限界が来ないとしないかも知れないしね。
その限界の基準は自分にとったら何なのか?
そう思うと命しかないか?……。
その命すらすんなり諦めるかもしれないけど、
何があっても生かされているという事は何なんでしょうね。
観念できていないのか、覚悟が足りないのか
どちらにもどこまで行っても繰り返しですね (^^;)
どこの地点に迷い込んでもそこで堂々巡りになること自体が崖っぷちなのかな (^^;)
人間は常に覚悟と観念しながら常に変化と進化を求めて広がっていくんですよね。
堂々めぐりと繰り返しはある意味地獄かも知れないか……。
それが諸行無常の響きあり……なのかな……。
もっと気楽に覚悟して観念して次へ次へどんどん変化を楽しむ方が天へ導かれていくのか……。
ですよね (^.^)
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