

こればかりは予期せぬ事


自分の意思表示でもあるしね

自分の思考・思想、それに人生哲学には、『生まれる事』『生きること』『死ぬ事』って大事やなぁ~~~ってよく思います


今月は私と息子の誕生日で、そんな日に考えた事というと、生まれる瞬間からその人の性格や周りに見せる自分の意志の表現があり、ドラマがはじまってるなぁ~って感じたという事をブログで言葉にしてました

『生きる事』もその人に起こる事すべて必然で、その本質に意味があり、気づきがあり、学びがあるのも分かる

一生懸命向き合い、辛い事も楽しい事も体験している時には気づかなくても振り返ると納得できるし、「あ~~だからね!」なんて笑えることもある

私自身の今の人生哲学も体験から得たものばかりで・・・・・・気づき、確認し、納得した時に共感できるアセンデッドマスター(聖人や偉人)の言葉に出会ったり、意識が繋がったりして確信してきた


それでもまだまだ通過点・・・・・

もう命が無くなるよっていう寿命が尽きるまでは・・・・・・

でもそれが向かうところは決めないと、生き方も決められないだろう・・・・・・

この世の最後のドラマの最終回の演出を決めるのも自分の人生哲学なんだろう・・・・・

そんな事決めると、そのようになるし、それに伴う出来事に遭遇するし、導かれるだろう

大分前に「千の風になって」って歌があったけど、その時すでにこの歌詞であるような事考えてて、「そうよねぇ~」って共感していた

お墓やお仏壇が大事な訳じゃない・・・・って

後にはお葬式自体がどうなのか・・・・・・って

こんな事考えだしたのは結婚の時のお姑さんとの宗教観の違いからですけどね

それが始まりで今の私の全てがあるようなもの

なんて、お姑さんとの事も過ぎ去った良い思い出です

いろんな事を私に提議してくれた感じですね・・・・・・・その提議にその都度悩み考え自分の答えを出してきた


極端な考えの違いから、いや考えの違いというよりも私の考えはゼロだったんですけどね・・・・・そのお姑さんの考えが極端すぎたのが功を奏したというか、答えを出した私は余計に自信を持てたんですね


自分の最後の日に皆さんに感謝とお別れが告別式なのかもしれないけど・・・・・・それまでに感謝は伝えたいし、さよならしたい

少しでも人の中に思い出としてストーリーなり面影なりが残ってるならそれで良し、残ってないならそれも良し・・・・・・・

私に対する嫌悪な感情さえその人に残ってない様な関わり方できていればそんな人生で終わりたい


そのまますんなり魂の一部に戻っていく

自分が納得した人生だと思えたなら、儀式なんてカタチばかりなら必要ない

そう考えると、結婚式もそんな風に考えてた・・・・

それもお姑さんの矛盾した極端な考えで、大幅に変え、この世の法則に従った部分あるけど・・・・

意外とそこからか、その前からか、自分の意志というか、意識を確立するドラマはそんなところにもあったんだなぁ~~って思うね

今回の『小さなお葬式』・・・・・・

4つの明確なプランと、明朗会計と、追加負担なしという簡単シンプルさ・・・・・

自分の考えとピッタリ合ってる

お葬式を挙げなくても、火葬やそれに関連してくる事務手続きは少なからず必要だからね

その後は、自然に戻る跡形もなくなる海洋散骨希望なんであります


それをいつそうなっても良いように、子供達にも伝えられるように準備だけはしておいたわけです

人間は肉体に在らず、意識に存在し、それは霊の一部で全て繋がってる


心残りな生き方だけは無いように・・・・・・

残していくと、残された者の方が困るからね


それより、残った者の要らない意識ですら吸収していなくなってしまおう



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