なんでもモノを考える時に…「そもそも」って思いませんか?
相手に偉そうに言われると余計に考えたりします
それと、何でも決まりきった様に断言して言い切ってしまう人に対しても
疑い深いのかも知れないけど、単純で騙されやすくもある私
そもそもですが…嘘や秘密が大嫌いでもあり
それも騙されやすいからかもしれません
ついつい信じてしまうし、真に受けるし、冗談が効かない
ちょっと心の間や遊び心がある真面目だったら良かったけど
でもそのお陰で用心深くもなったし、先ず受け入れて認めてみようとも思うようになっています
正反対の様でどちらも私の考える思考の基となっています
最初のうちは多分性格の上での家庭環境でもあったんでしょう
親が言う事は絶対だったから疑う余地も無かったですしね
どんな世界の事も「へぇ~そうなんだ!」という感じで
そうじゃない事に気づくまでがめちゃ長い
でもどこかで違和感を感じつつ来たんでしょう
騙されたり、嘘だと気づいた時にはメチャ落ち込んだりして、
でもそれを何度も繰り返したり、いい加減アホかと思うでしょうが、すぐ忘れる
痛みも傷も無いから余計だったのか、痛みにも傷にも気づかない自分だったんでしょう
こんな事からも自分と向き合ってなかったんだと思います
それに無知極まりないってところでしょう
まあ変なところとかゲスイ悪の道というところには騙されなかったって言うのはあったので平和で何か守られていたのでしょうね感謝です
自分で言うのも何ですがこの歳になって今だから言える事か…そもそもが素直な良い方の人間だったんでしょう… (^_^;)
生まれ変わりに感謝ですね
嘘なのか秘密なのかっていうのも時には必要でもあると言われます
なので悪い事だと思っていないので…
私がその事が嫌いだったのは…自分に向き合うとか、自分を信じるというミッションだったんです
そして表面的な事に騙されたりしないで本質を見る眼を持つ…という
それには色んな経験も必要だったって事です
何事も…「そもそも」という事があります
自分の性格や自分の思考の癖にもそうですよね
自分がどんな性格かを知ると、自分の思考の方向も知るし
自分の思考の方向を知ると興味やし好も知る
思考の癖も知ると自分の世界も知る
自分の世界を知って行くと、本来自分が求めている事も知ります
そもそも論なんて堅苦しい事は言いませんが、何でも根拠はあるんですよね
今までの時代は見えるものをどんどん求めて先へ進み、拡大していきました
だんだん他に合わせる事をしながら広がって行ったので、段々我失ってしまいそうです
今度は奥へ進み、「そもそも」を見つけ、心や心理の奥へも進み、
真理へ向かう時代だと思います
物にも真理があります、物事にも真理がある、人間にも真理があるんです (^.^)
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