何度も話題に出すこのテーマ「コミュニケーションエラー」ですが
人間関係をやっていると一番のテーマにもなりますね
関わっていく中でコミュニケーションが一番難しかったりするという
受け取り方、捉え方、理解、解釈、すべての人がそれぞれだからですよね
今の時代、個人の意志や主張やメッセージが大切になってきているけど、それ以上にというか、それだからこそという上で
人を尊重するという事が大切になってくると思います
その尊重するという事で理解とか解釈の仕方もより大切でしょうね
自分の世界を主張するのも良いけど、他人の世界も知って理解するという
その上でその世界が嫌いならそれで良いし、関係を切るならそれで良いと思います
先ずはまさしく自分を知る事です
自分の世界を知らないと自分自身を尊重も出来ませんし、人の事も尊重出来るはずがない
器が大きくなる事、概念を知っていく事、世界を広げていく事ですよね
そんな中…
概念も大きくもち、器も大きくなっていき
人の言っている事も重々理解し「そうだねそうだね」と聴く
その人の事も認め、
もしか自分と違和感あっても自分の世界と違っても、自分と手法や手段が違っても「それもありだね!」と応じ…
自分の意見もしっかり伝え
時に自分の世界を振り返り、自分の違和感とも向き合ったり
もう良いだろうと投げやりになったりする事もあるでしょう
ホント、人との関わりってその人それぞれなもんでこの人ではこれが正解だと思っても、別の人には通用しないしね
正解も無い
やっぱりコミュニケーションには心が付きもんだなって思いますね
心の通い合いです
たまに、はっきりものを言って断言する人がいて、それが凄く小さな世界な時もある
そんな時にちょっと大きな意味合いで遠回しに言うと中々理解が出来ない人もいて、ハッキリ言うと機嫌が悪くなる人も
心の通い合いには信頼も信用も必要で
それも…自分自身への信頼も信用も信じる事も必要で…
今、時代の過渡期にホント大切な事かなと思ってしまう私です
今までの時代が人に合わせていた、社会に合わせていたから特にですよね
人付き合いって他人ばかりじゃない、親子や家族間でもですよね
自分自身の尊重なしに家族への尊重もないです
子育ての時に思いました
子育てには正解は無いと…。
子供三人産んでも一人一人関わり方も違うので迷いながら理解しながら尊重しながらです
ちょうど今パラリンピックやっていますが、凄い能力ですよね
いつも驚きです
私が子供を産んだ時にもご近所に障害児を持つ友達がいて、その家族と出会い、色んな事を知るようになって
子育ての心には障害児も健常児も無いという事を知りました
その子供とお母さんがこの世で出会った事も必然だった事も傍でずっと見てても分かったし理解できました
もちろん世の中で生きていくのが大変なのも理解しましたが、親が受け入れその子供と心を通い合わすのには何も区別はない
私自身も子供から学ぶ事も多かったし、何も違いはないし、正解も無い
人生に正解は無いという事です
コミュニケーションエラーを引き起こすのは、まず自分の心なのかなって思うのです (^.^)
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