緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

老いについて情報を得ました (^.^)

2022-04-27 | 人生観
  昨日は還暦に突入していくという自分に対して
老いについて考えてみましたが。
肉体も新陳代謝しているという事も知っているんだから、
心も共に老いて行きたいなと、いや老いて行くという話をしていました。


いつも考え方や捉え方などをリスペクトしている
心理カウンセラーのおのころ心平氏
医学の観点や心理学からも肉体と心は繋がっているという研究をされて実践もされている方、
実際に何人ものお医者様とも交流を深めながら色々イベントをされています。
私も講演を聴きに行った事もあるし、著書も読んでいました。
ご本人がどんな方かという事は実際にお話した事が無いので分かりませんが、
そんな事はどうでも良いと思っている私、
何にしても全て魂は繋がっていると思っている私ですから (^.^)
その方のお役目に感謝するだけです
いつも色んな情報を頂いてありがとうございますという気持ちです。

それでもどんな情報を得たとしても活用しないと意味が無いと思っている私ですから
頭でっかちになってもいけないし、
依存してもいけない、
自分の力で生きないといけませんから
そして情報も処理してやらないと脳もフリーズしますし、
取捨選択も必要だし、活用して自分哲学に変えて行かないといけないと思っています。


今回、老いの事について考えていた時に
それ関連の情報を記されていたので共有したいと思います。
いつもいっぱいみんなと共有したい情報があって
ほらねっみんなも心配する事ないよ、
意識かえてみたらどうよって思う私 (^.^)

いや、私が心配せんでも知る人は知ってるし、
繋がってる人は繋がってるか (^^;)
ちょうどおのころ氏も感情の老化と話されていました。

「感情の老化」とはいったい
どういうことを指すのでしょう?
私たちの脳は、
部位によって役割が異なりますが、

「前頭葉」という部位は、
自発性や意欲、創造性や感情を
コントロールし理性的に
ふるまうなどの役割を担っています。

そして、この前頭葉は、
早い人で40代から萎縮が
始まってしまうのです。
前頭葉が萎縮して起こる初期症状は、

「どうせ」「面倒くさい」
「どうでもいい」「別にいまやらなくていい」
といった言葉や思考が
増えてくることです。

さらに、前頭葉の下にある
大脳辺縁系から発せられる、
様々な「感情」を抑えにくくなるので、
・怒りっぽくなったり、
・自分の考えに固執してしまったり、
・柔軟性がなくなってきたり、
・いつまでも涙が止まらなくなったり、
ということが起きてきます。

運転中に、やたらと感情が湧いてくるのも、
前頭葉制御の低下のせいかもしれません。
コロナ禍もあって、
感情年齢が急に老け込んだ
という方も多いかもしれません。

・気持ちがうまく切り替えられない、
・嫌な出来事をずっと引きずってしまう、
・こまやかな気持ちに配慮しにくい、
・感情の機微がわからなくなる、
・意欲がなくなる、
・かつてあったはずの感動がなくなった、
・お誘いを断ったり、
・人からの提案を受け入れにくくなった…


昔に認知症の人のための"バリデーション療法"という事を報道番組で知った時にも同じような事を知りました。

認知症の初期症状は70歳ぐらいから出て来るんだけど、
その時に、「面倒になる」という感情がキーワードになると、

でも実はその認知症はその感情が出て来る20年も前から始まっていると。
その時ちょうど私は50歳代だったので、「えぇっ!今頃やん!」って驚きましたが、


既に、前頭葉の萎縮も始まっていたのかな (^^;)
それと共に、感情の表現を抑えている事によって
脳に感情が溜まっていくと言っていました。
パンドラの箱みたいにです。
後にそのパンドラの箱が何かのきっかけで開いてしまった時には
押さえる事の出来ない感情にすり替わっているという。
行動や言葉になってしまう場合もあるって事でした。

その番組では実際の状況で高齢者施設の認知症の方で
試されて治療もしていましたが、
感情を溜めているという事が一番影響するんだと受け止めました。

それに前頭葉なんて言うと、直感や想像の世界です。
同じ事ばかり考えているとその繰り返しが悪循環になるということ。
自分の世界が狭いと余計そうなるのか、萎縮するのか、

現代人のゲームやパソコンで前頭葉ばかり使っていると
どうなるんでしょうね。

そして感情表現の下手くそな日本人、
今現在の感情すらも自分のコントロールしているところではないかも知れない。
うちの母親も良く言っていました、「ボケたくないなぁ~」って、
ボケたくないと言いながら自分がしなくちゃいけない事は
何なのかって事は考えていませんでした。
そして我慢我慢の人生や!なんて言っていました。

口にするだけじゃなく意識があるうちに意識を変えないと意味も無い。
年いったら病気になるのは当たり前!と口に出していたらそうなります。
心がついて行っていないだけですよね。
感情の老化だったんです。
意識があるうちに新陳代謝しているうちに
自分の意志で生きないと終われない。
年いって時間があるなら言葉を変え意識を変え
良いもの見て良い事考えて、心ワクワクさせて
そんな時間に自分の残りの人生を費やしてみると良いのかも
大往生というのはそういう事なのかと。
それは何も100才生きたから大往生じゃない。
若くてもその人の意識を全うする事が大往生だと思う。




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