心と繋がると…自分との信頼関係も強くなりますという話を続けています (^.^)
肉体レベルでばかりでこの世(物質世界)を生きていると、心との信頼関係が繋がらなくている場合が多いという話でした
人間界では煩悩や欲は必要ないと仏門界では言われるかもしれませんが、人間が生きる上で欲は必要だと思います
原動力で、魂の課題でもありますから (^.^)
それが我欲や身勝手過ぎると狭く小さな世界で生きる事になるから苦しみや辛さを味わうよという話でしょう
狭く小さい世界だから苦しいのであり、ミシミシと広がろうとするんでしょう
我欲というのも自分が進むうえでの広がる課題でも一つの魂へ帰る課題でもありますからね (^.^)
でもそれが肉体レベルばかりだと物欲であったり、支配欲や自己実現欲に偏ったりします
その偏りが食欲や睡眠欲や性欲の偏りに派生したりする
肉体レベルの欲は満足に限界を感じる、そして目移りする、そして見える世界に翻弄されていく
肉体からのアンテナが立っていて優れていたんでしょう
それが五感でもありましたが…
ところがその五感すらも段々薄らいで忘れ去られるまでに物質の世界、肉体レベルにドップリ浸かってしまいました
本当は一つの魂へ帰って行くという課題も忘れてしまい、肉体レベルに執着するという
肉体レベルというか、肉体に執着するまでにもなってしまいました
肉体の続きがあるというのに…
人間だけが悪い訳でも無かったですが、医学や科学や物理の発展もそれを助長していったのかなと思います
昔に、芸術家の岡本太郎氏が、万国博覧会のためにパリから日本へ帰ってきた時に日本の発展と人類の成長とのギャップに落胆したという思いに共感しました
その時の思いが「太陽の塔」という芸術を創ったという
その太陽の塔の中の「生命の樹」、私もそれに出会う前にユダヤ教のカバラというもので知りましたが、この生命の樹はキリストもお釈迦様もそれぞれが自身の人生をもって真理を表現していた事を知りました
人生をかけて人類の成長を解いて行ったという…それが生命の樹として表現しているという
「生命の樹」が経典そのものだと信じて私も理解と解釈してきました
それから、描く絵も生命の樹がテーマとなったんですよね(余談ですが)
肉体をもつ人類もその生命の樹のように進化成長していかないとって
肉体レベルのアンテナばかりじゃ本当の成長は無いのかなって
本当の満足とならない
魂が一つの所へ戻れない
心のアンテナ張って、心の赴くまま動いていたらどんな壁にぶち当たっても心と共にいて、思い合って、心の奥の宇宙とも繋がって、奥の宇宙とアンテナも広がって
その結果、心が満足するのかなって思うんです
今、スピリチュアル界では土の時代から風の時代へ変わった…なんて言われていますが、それがどうのこうの言うと土や風が何だと言われるだろうけど
宇宙のエネルギーが変わったのは本当です
それが地球や人類に影響を与えているのも真実で事実
じゃあどうすれば良いかというと、何からも全てからも全てへも…支配や束縛や抑圧などはそもそも無いという事だけです
そうなると自分自身が心へ聞かないといけないし、宇宙へ聞かないといけないんです
ただそれだけ (^.^)
自分自身のアンテナを持つ !(^^)!
心のアンテナも自由です…思いやりがあれば ヽ(^。^)ノ
「思いやり」…すなわち、思いの矢、槍(やり)!!それはどこへ向いても良い、どこにでも向ける
おじギャグみたい (^_^;)
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