誰しもが知ってる人ですよね (^.^)
私などは無神論者というほど宗教や慈善活動に全く興味も無かった若かりし頃、
昨日に話したほどですが、黒歴史と言って良いほどの未熟な若かりし頃、
それでも名前だけは知っていた。
詳しい活動は知らないけど、
学校や孤児院やホスピスの施設を創立しながら人に優劣付けることなく平等に人のために活動した人だと。
ノーベル平和賞をもらった人という事は何となく知っていた。
だから偉い人なんだなと簡単に言うものでもなく、
その人自身の真実は知らないけれど、
その生き方に一本の光が通っていたんだなと信念を感じるんですよね。
元々神の洗礼を受けた人でもあるので、神に近く縁があってお役目があったんでしょうね。
12歳の頃にインドへ行って修道女として働きたいという望みがあったと。
だから、生き方と思いが神様と一致して使命を頂いたんですねきっと。
表面的には人生は色々な出来事があって様々な生き方となって大変なことなども起こると思うんだけど、
その信念たる思いや考えが無いと進む方向もぶれますよね。
36歳ごろに神の啓示があったと聞くけど、「全てを捨て、最も貧しい人の間で働くように」と。
それを受け取ったと信じたとしても自分の深層心理だったとしても、それをそのように全てを捨てて行動に移す事が可能なのかというとどうやろう。
頭で考えてたらぜったに出来ないだろうししないんでしょう。
頭じゃなく心のままに、というと、ホントもう既に動いてるもんね。
それでも信念は自分自身で創って行ったり、持っていないといけないと信じています。
それを持っている事、持っていると自分を信じれるかだと。
そしてその自信を創っていく、持って行くのは自分の考えであり、思いであり常の行動だと思ってる。
考えを言葉にする、思いを言葉にする、それが大切だなと。
その思いや考えや言葉をもって、それをどこで行動に起こすかパフォーマンス表現するかは様々であって良いんだと思います。
たまたまマザーテレサはその思いや信念を最も貧しい人たちや心が癒えていない人たちへの愛を表現したんですよね。
家族の中であっても、グループの中であっても、それぞれの社会の中であってもです。
今どきの政治家などに問題が多くなっているのは、その信念がブレブレなだけなんでしょう。
じゃあ私たち自分たちはどうなのかって事でしょう。
自分の信念を知っているか築いているかなんでしょう。
使命感を持っている事が凄いんではなく、
凄い評価を受けたのが凄いんじゃなく、
聖者と認められたから凄いんじゃない。
信念のまま生きた、思いのまま生きた、思いのままの言葉を発した。
自分のままに生き抜いた事に感銘を受ける
先日、リスペクとしているおのころ心平氏のブログ記事に添付していたマザーテレサの名言、もう何度もそのブログで取り上げてくれていたけど、
私も添付しておこう (^.^)
常々私自身の心にも刻んでいることなので !(^^)!
思考に気を付けなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気を付けなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気を付けなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気を付けなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気を付けなさい、それはいつか運命になるから。
こんな言葉の本質に真理が在るんですよね。
そしてそのままを生きれば、その生き方が自分のままであれば、それが良い (^.^)
https://arakana0609.net/archives/12940
https://www.huffingtonpost.jp/krithika-varagur/mother-teresa-was-no-saint_b_9658658.html
そんな事に惑わされるから本質が観えなくなるんですよね (^^;)
言いたい人は言いたいだけで、中身も本質も無いかも知れないので気を付けないといけませんね!
そっちへの余計なエネルギーを費やさないようにしますね。
ありがとうございます (^.^)