先日、友達と話していて
素敵な家族の中で幸せに生きている友達です
そんな彼女でも毎日の暮らしにいろんな体験を取り入れ、時に考えたりしている
中には問題を問題として受け止めない人も気づかない人もいるし
小さな問題でも大きく捉える人もいます
どんな問題にも悩み苦しむ人もいるし、
楽観的に直ぐ答えを出しちゃうことが出来る人もいますね
みんな人間やってるなぁ~って愛おしく思います
物理や化学や文学や歴史学や心理学や政治学、法律や社会学
何でも学問っていうのがあって、それに特化して専門家や博士や有識者という肩書をもらう人もいますが
人間こそはその総まとめというか、総合学的な「人間学」という事をやっていると思います
「人間学」の基本と土台に「人間愛」を学んで行くんだと
その「人間学」は物理の観点からも科学の観点からも色んな観点から証明していかないと成り立たないのかなと思うからです
風の時代に変わって、物質の次元から情報や知識の時代に変わると言われていますが
その情報を知恵として活用していく事なんですが、それが「人間学」と繋がって行くんでしょうね
多方面、多情報からの観点で自分を観察、洞察して行くチカラを養う
その方が多くの選択肢、多くの答えの中から自分の答えを導き出せるでしょう
先に話した彼女の事でもありますが
そんな彼女も幸せの中にいながらでももちろんいろいろあるんです
優しくて家の用事もしてくれるご主人がいてでも、その中に理解の課題もあります
お姑さんと同居で、そのお姑さんも優しくて若い人について行こうという考えもあって、と言っても、その人の長い人生にとっては課題をどれだけモーラしてきたかという事もあり、それを共有するという子供達、孫達のミッションも関わってきます
ここ最近は少しずつ弱ってきたりして(私もカットしているのでよく知っているんですが)、転倒したり、いろいろ起きます
こんな事も全て必然です
歩けなくなったり、不自由になったり、幻覚、幻聴、せん妄…すべてその本人にも必然で、子供にも、孫にも「見る、観る、看る」とかの関わる事が必然です
全てミッションです
第三者はそれが客観視する事で何となくそういう事だろうなとその答えが理解できますが
関わっている者にとったら冷静ではいられません
色々大変な中で少しでも違う角度での解釈の情報を伝えたりしますが、自分で答えを出さないといけません
まさしく今のリアルな問題にメスを入れたりするのが私の役目だったりするので(魂からのお達しなんで) (^_^;)
そんな彼女もどんどん自分で点と点を繋がげて理解が深まっていきました
そして自分の答えにどんどん自分が癒されるという事になるんですよ
そんな途中でも彼女が「ある時に自分って冷たい人間なのかなって思う事が分かった」なんて言うんですが
そんな自分を観たのも確かだし、そう理解したのも確かだよって
先ずはそうやって自分を見つめ受け入れなくてはいけないし
でも、冷たい人間だという事も角度を変えれば色々解釈があるよと
冷静でもあるし、見守る心でもあるし、人を尊重するという事でもあるし
自分が自分を冷たい非情な人間だとそれだけの解釈では自分を責めて終わっちゃいます
そうじゃなく、その奥に進み「全てはオーケーなんだ」という方向へ概念を変えながら自分の魂のバランスをとっていく事をしないといけません
また、そんな自分の解釈の広がりの体験をすると、他人の同じようなシチュエーションにも考えにも理解が進みます
それでも時に、他人とは状況も環境も違うので、そこでまた自分を押し付けない、人への尊重の次元へ進むという訳です
そんな奥深い「人間学」
自分には何も価値や学問が無いという人も多くいますが、主婦こそ人間学の宝庫
誰しも博士になり得る
私もまだまだ頑張ります (^.^)
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