クリスマスもそうですが、今からお正月で、
人が集まるところが多いです。
街もです、イルミネーションでも大勢の人が並んで混雑して
カウントライブで年越し、
初詣で一気集中…と。
人混みにわざわざ行ってまで楽しみます。
ゴールデンウィークなどの時にも話したことですが、
コロナ禍で戦々恐々として籠ったり、人に会わなかったり、
人の行動まで気になったり、
そんな時を経ながら、ウイズコロナと言いながら
「もう良いねん!」って言い聞かせながら人混みへ参っている人も多いです。
自分は…ワクチンもしているし、マスクもしているし…と。
ウイズコロナじゃないと経済も成り立たないしとかも。
それでも他人がそういう予防をしていないと気になったりして (^^;)
そんな人でも周りの気持ちが緩むこんなお祭り気分の時には心に理由をつけて楽しんだりします。
政府がすべて取り払ってくれたらいいけど、
それも期待できません。
子供たちの給食の時の黙食を取りやめようと決めても現場の先生はいろんな子供たちがいるので一斉にすぐさま取りやめにできる事なんて無理だと。
先ず大人たちのケアをしないと子供たちへの影響は変わりませんよね。
この3年間で医療体制も改革できたんでしょうか?
安心を国民に与えられるように医師会は改革をしたんでしょうか。
政府は何をどう変えてくれたんでしょうか。
印象としてはすべて国民への制限だけが多く残っているような (>_<)
統治や支配と制限や規制といった昭和時代やそれ以前のやり方を出し尽くし、国民に強く求めただけのような。
その最後に防衛費を増税でって…戦国時代の税制でいろいろ理由つけて軍事費に取り立てた時のような。
それを現代の人類がどう捉えてどう考えて支払ったらいいんだろうね。
私なんか頭悪い方だから払わな仕方ないなとか、理由聴けばそうかなんてすぐ思っちゃうかもしれないけど、心はどう考えているんだろう (^^;)
心が思うとおりにするとすればどうするんだろう。
ほんと先ずは誰にでも分かるように誠意をもって理由を話してほしいです。
いつも土曜の正義の味方って番組録画してみていますが、
ほかにも手立てはあるし、政府でも各省庁が開示して机に出し話し合いの余地もあると聞くと、何故それをしないのかと心が思う。
そう思ってしまうと、政府との信頼関係も崩れる。
何故正直になれないのかと (^^;)
自分が納得すれば心もついていくので払うだの支払わないだのも納得できそうなのに。
コロナに関しては単なる病気だと思っているし、
病気はもちろん軽いものから重篤なものまで無限ですが。
ただの風邪でも万病のもと、
早い手当て、処置も必要です。
生活の乱れを先ずは調えるし、
疲れの要因を見つけ向き合います。
人生がそれだけでも変わります。
病気も体のSOSで人生の気づきだと思っているので
心配も不安もない。なる時にはなる。
罹ってしまったときにはすべてに向き合う準備もできています。
その前に命の事も考え自分なりの答えを出し、
死の事も考え自分の答えを出す。
あとはそれに感謝し、生きていくだけ。
心がその人生観と死生観についていけるように
日々の気づきから答えを出していくだけです。
コロナ禍でも制限の中でしか答えを出していない人がいれば、
また数値や制限に翻弄されてしまうかもしれません。
ウイズコロナだと思うのならば、
コロナの事をもっと本質から知る意識でいないと駄目だろうし。
普段からの不安や心配や怒りの低次の意識を手放さないと
また何かの出来事に合わせてそんな意識が浮上してくると思います。
中国がいい例だと (>_<)
年末年始、色々片付け整理する時も
心とか感情を置き去りにしたままにしないで、
スッキリ心が残っていない事を確かめるように
その物たちと向き合っていけば来年には素晴らしい年になるのかな (*^^*)
心は常に共に歩んでいる事を忘れずにいたいもんです ヽ(^。^)ノ
今年の心は今年のうちに、
今までの心も今年のうちに、
魂の心も今のうちに (*^^*)
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