緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

心の情報も新陳代謝

2022-04-19 | スピ的視点
情報もインプットするだけでは思考の左脳部分で溜まってしまいます。
自分には関係無いなと思う情報でも、聞き流しているようでも
必要だから入ってきているもんです。
引き寄せています。

それに対する自分の意見や考えを持って答えを出しながら処理していかないと脳はずっと稼働している場合があります。

その自分の考えや意見は、自分の価値観から出てきているもんで、
自分のその時の価値観での答えです。

間違っているとか正しいとかではなく処理をして行かないといけないんです。
意外と俯瞰して観ると自分の思ってもみなかった答えを導き出す場合もあります。

よく、あの人誰だっけ?と芸能人や知り合いの人を思い浮かべる時がありますが、顔は分かっているけど、名前が出てこないとか、
あの映画に出てたけどなんて名前だっけ?とかという事があります。


まあ脳には名前を覚えるところと顔を覚えるところが違うので一致するのに時間がかかる場合があります。


脳はそんな理由も知りませんから、自分の脳に問いかけると、ずっと脳は検索して働きます。
自分の脳の情報や素材を繋げるのに時間がかかるのです。

何時間経ってとか、数日たって思い出す事があります。
その間ずっと脳はその事について働いています。
でもその事ばかりじゃない、次々に私達は脳に指令を送っています。
食事の時も寝ている時もです。

情報の取捨選択と処理だけはしておかないと脳はパンクしてしまいます。

必要だから残っている場合もある。
それは情報と情報を繋げて活用していく為です。

情報と情報を繋げているのがよく聞くところのシナプスですよね。
私も脳の事に詳しいわけでは無いけど、シナプスという名前は聴いた事があるし、自分にとって何かを解釈する時に必要なんだろうなと残っていたんでしょう。


今の時代は情報社会です。
ネガティブなところに意識がいっていると、入ってくる情報もネガティブな事が多くなって行きますが、


そのネガティブ情報も理解しようと思うとポジティブ変換出来るもんです。
その変換する事が自分にとって必要だからネガティブ情報を集めているんだと思います。


そのままネガティブ情報に埋もれ我を失う前に「変換する」ための素材だと考え自分で活用していくと良いのかなと思います。


昨日の「カミオカンデ」の情報からそれをどうやって活用するか
自分に直接関係無いと思う人には難しい宇宙や化学の世界かも知れないし、
見えない素粒子の世界です。


でも、活用しようと思えばイメージでの活用は出来ます。
病気にも痛みにも、人間関係の対処にも。
自分の隣りに人間が一体あるだけ話したり関わっているだけと思っているけど、
それだけではないエネルギーの関わりがあります。
素粒子は大気中に遍満に存在していますから。

人間は死ぬと火葬してこの世の終わりと思うけど…
肉体は焼かれて終わりだけど、意識はこの世に浮遊しています
死ぬ時に満足して感謝の気持ちだけなら良いですけど、
死ぬ間際の自分の意識に責任持てるでしょうか…
「まだ生きたいよ」「クソ!死にたくないよ」「何で自分だけが」…色々ですが、それらの意識に答を出しているのでしょうか。
低次元の意識は大気中に素粒子と共に残っています。

だからこそ、自分軸で生きて自分の答えを持っていないと、そんな意識と一体化してしまう。
磁石のように引き寄せてしまうのです。


もちろん、大気中の意識を活用できるなら思いついた意識を参考に繋げてヒントにして行くぐらいになれば、
その残っていた意識も本望で浮かばれて行きます。


コロナ禍で居酒屋が矢面になっていますが、
その本質はお酒の席でストレス発散している意識の問題かなと思います。

世の中でも吐いたストレスはどこに行っているんでしょうという問題。
それは自分の意識です。

愚痴や文句、不平不満を吐く事自体が悪い訳じゃないです。
吐いた物に気づき責任とれば良いだけです。


ストレスというのは自分の中の問題、
何が問題かは自分で対応しながら対処して処理していかないと
自分の肉体にも残るし、大気中にも浮遊しています。
それが人にも感染し広がります。

情報処理は自分の中でも起こっているけど
自分の外側でも起こっている。
いろんな所で常に新陳代謝しながら生きて行かないといけません。

その情報を繋げてどう処理していくかです。
答えを出しながら新陳代謝して行くだけ。
そして、どう活用するか…だけです。
イメージでもそこに意識が行き出し、
集中して続けて行くとどんどんシナプスは繋がって行きます。
実際にそんな体験から病気を治した人もいます。
医学の観点からもリハビリ関連では最近では見直されています。
そうやりながら情報を繋げながら処理していく。


今ままでの時代は結果主義だったりで、早く結果を出さないといけないと思って、失敗も許されず、完璧を求め過ぎるので、時間をかけないで諦めてしまいます。

実際に私もそんな性格でした。
親にも「ちゃっちゃとしなさい」「早くしなさい」と、せかされてきた人間でしたから。
この「ちゃっちゃとしなさい」と言い聞かせすぎると血液関連の病気にも繋がると言われています。
この言葉だけで自分に余裕もなくなるし、情報処理できないまま体に残って溜まってしまうという。
高血圧とかコレステロールとか、知らないうちに溜まっているのです。
内臓も組織は働いてくれていますが追っつかなくなるので数値で私達に知らせてくれている

循環や新陳代謝が鈍いのでしょうね。
見える世界では直ぐにカタチが在るだけに、カタチを求められ過ぎたんでしょう
それが凄いストレスとなっているんでしょう。
たとえ自分の中で処理できて答えを出したとしても社会が追いつていないので自分の中にまた埋もれさせてしまうという悪循環にもなったりします。
例えば性に関してがそんな感じ?
LGBT等の自分の性について悩み考えを出して答えを出しても世の中が受け入れてくれないので内に秘める…みたいな
進むのには勇気も必要ですからね
でもどんどんと答えを出しながら進むと本質に繋がるのも真実です。


それが心も共有しているからちょっと厄介なだけ (^^;)
脳の情報処理が出来ないと心も処理できません。

情報は知らず知らずのうちに入ってくるし、溜まっています。
答えだすにも自分の世界が狭いと答えも少ない、
価値観を広げないと、また、高めないと答えも低いです。


そうやって、新陳代謝する肉体の細胞も心も自分で責任持てた方が納得いく人生にもなるでしょうね。





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