前に話した今クールやってるドラマの話、
ある恋人を助けたくて自分の五感と奇跡を交換するという。
まあ実際に現実には五感を失うという病気はないそうだけど、
まあそれは置いといて、
五感を失うなんていうのも、恋人の命をそれを捧げて救うというのもファンタジーな話です。
この話をブログでした時には五感について話していたんだけど、
五感というのもある意味ファンタジーな話ですね。
みんなは当たり前になっている人が多いけどって、無くなると人生の凄いハードな障害となる。
それと命を交換するなんて、この世には絶対あり得ない話だと。
昔は伝説と言って本当はあり得ないだろうという話がいっぱい言い伝えられたりしていた。
そこにはファンタジーもあったり、憧れたり、強い思いを育てたりした。
最近ほとんど聞く事無くなったなぁと思いませんか伝説?
遠い世界、別世界、別次元だと見て見ぬ振りして自分は現実に戻る。
そしてアニメやこんなドラマや映画でファンタジックに描かれています。
伝説もある意味見えない世界や先人から聞き伝わった話。
今度はアニメやドラマや映画、
そのアニメやドラマや映画でノンフィクションとなると最初から絶対にありえない話だと決めつけながら見てしまうんでしょうね。
そうすると絶対に自分とリンクさせることなんてのも無いよね。
その奇跡の事実はどんな事であれ、
その強い思いがいつか強ければ強いほど伝わるのが「奇跡」だという事を伝えているんでしょう。
今の世の中はどっぷり3次元に浸ってる。
そしてその見える世界で生きて、その世界に依存して誰も奇跡を信じようとしない。
もう既に見える世界しか信じない、と。
昔は神様の前にたたずみ祈ったように、思いを込めたように、
お空、天に向かって思いを願ったように。
それを毎日朝から晩まで願ったように。
そんな事をする人もどれほどいるでしょう。
天に願う事をすることも無ければ自分の心に願うことも無く。
現実に手に入るぐらいの願いで終わってしまっているからでしょうね。
3次元の物質次元にいるからですよね。
お金さえあればすべて手に入るという次元になってしまっているからですね。
昔なら奇跡を起こした人や伝説が多かったけど、
歴史が好きでも、歴史人物を尊敬しようとも、歴史上の人物の軌跡をたどろうとも、歴史の土地を訪れようとも、
今の神社仏閣お城古墳巡りなどもそんな感じ。
その時の思いとかと願いとか祈りが伝わり、奇跡を起こしてきたことに教訓を得て今を生きないとファンタジーにもならないですよね。
五感を無くしたらどうなるのか、そんな事も考えない。
耳や目、口、鼻、悪くなれば病院へいけば良いとしか考えないでしょう。
自分のライフスタイルを見直すことも無い。
ましてや奇跡を信じて祈ることも無い。
そのファンタジーな世界は遠くデジタルな世界のように思い込んでしまったという。
リアル(現実)とファンタジーの境目っていうのはある意味自分の意識が作っているだけかも知れないというのに (^.^)
その境界線を外すのも自分だというのに。
思い続けるという事と、強く思うという事は、現実をも変えるという事を見失ってしまったのが現代人かも知れない。
私もこのドラマを見始めた時には、「絶対あり得ない~」とちょっと馬鹿にした感じで半笑いでした。
そのうちに五感が全部なくなるってどうやろって考えたり、
前にも話したように最近はこの五感についてのドラマや映画が多いなと、それはどんなメッセージやろうとか、
そして最初ファンタジー過ぎると半笑いだったのが、そうやなぁ~現代人は現実を生き過ぎて奇跡を忘れつつあるかもなぁ~って考えたり、
自分の思いを考えた事あるのかなぁ~
自分の思いに気づいているかな~
自分の思いを強く持った事があるのかな~
ましてや、いつも言うように自分をしっかり俯瞰できてるのかなって!
自分の事を知っているのか、本当の自分ってって考えた事あるのか、
人の事も思った事あるのか、
愛おしい人がどれだけいるか、
その愛おしさってどんな愛おしさか、
自分の事を愛おしく思っていないと、人の事も愛おしく思う事なんてないよねとか、
ふとドラマを見ながら思いはせた (*^^*)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます