結婚する時に考えるのが「価値観」が同じかどうかと言われます
私なんかは結婚する時に未熟すぎて、そんな事これっぽっちも考えなかった
母親は私の結婚を早くから望んでいたし、孫を早く欲しがっていたので
婚約指輪代ぐらいできたら結婚したらと言われた
そんなに両家の家柄にも差は無かったのもあって、
3年ほど付き合っていたのと、私も早く子供が欲しかったので、そうなの?って、直ぐに彼に言ったらそうしようと直ぐ決まった
でもその後に
母親に言われたことに、宗教観がちがうのと、持病を持っている親がいると大変だよと言われ、そうなのかなと思い、彼にそれを何の気なしに言うと、大丈夫ちゃんとしっかりこうこう何々するからと言われ、そうなんだと、その後に母親に、「大丈夫なんだって」って答えたのを思い出します
無知の未熟極まりない、若いだけの怖いもの知らずの勢いに乗った結婚でした
こんな事言ったらどんなに不幸な結婚だったって思われそうだけど
そうかも知れないけどそうでもなくて、ただ結婚というものを思い知らされたって感じですか (^^;)
こんなにも自分以外の、自分の家族以外の世界があったのかって事でした
そんな時に私がその「価値観」という事を知っていたらきっともっと冷静に考えてしまっていたと思うし、多分絶対に結婚していなかったかもしれない
今から考えるともうその時すでに価値観が全く違っていたから
恋は盲目!なんて言うけど、そんなに盲目な恋もしてなかったと思うのに (^^;)
これぞ、因縁だっかた、神様の導きかって感じでした(^.^)
そして、今だから、自分も間違っていた事も多々あるし、その違いの大きさも今なら分かるし、両家の違いも奥深かった
それが交わる事なんてあるのかと思う程
だから昔の考えなら、どっちがどう折れるか、どっちが合わせるかしか結論に至らないだろうなと思う。
実際に結婚式の事でも、家具選びからもその違いは始まりました
それもどこで折れるか諦めるか、我慢するかしか解決策を知らなかった
折り合いをつけるなんて事も知らないし。
もし折り合いがつけることが出来たとしても、それぞれは折り合いと思っていないという感じ、どこかやっぱり合わせるという、昔で言うところの大人の判断なんでしょうね
昔のお客さんが結婚式の2週間前に破談になったという話があった。それも両家の問題に解決策が見つからなかったらしいけど。
それは何も両家の折り合いだけでもなく、自分の親子間でもあったと思います
結局は若かった未熟な私はそれらを深く学ぶという選択を無意識にやっていたんだとその後に知る事になるんですけどね
結婚して、しばらくして早速その「価値観」という言葉を知った私
その言葉を知った時に、主人に何か物申したかった時に価値観を共にしないと的な事を言ったら、「価値観てなんや!」と言われた時に、その大事さが分かった私でした
結婚するのに価値観の違いがこんなにも問題が大きくなるのかと。
まあその後は大きく違ったその価値観を課題に私は自分を磨いていく事をして行ったので、感謝しかなく
とは言うものの
夫婦揃っての価値観の距離が縮まるのはかなり難しいもんですね (^.^)
夫婦には添い遂げると言いますが、いつまでもコミュニケーションと理解は必要で共に成長はし続けて行くもんです
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