自分に問いかけてみるという話。
「人は何故死ぬのか」とか、「何故病気になるのか」とか、
宇宙や仏教や神道などの真理でもある事に関してだったり、
人間の感情である「何故怒るのか」とか、「何故笑うのか」とか、
何に関しても奥深いです。
全てに常に問いかけてばかりいると
苦しくなったりしますよねという話でもありました。
だからこそ自分に起きている目の前の事に向き合うのでしょう。
その時の状況や人間模様によっても様々です。
ふと思いついた事にも、ふと口から出ている言葉にもです。
それだけその事に興味もあるんだろうし、
人生に持って来た問いかもしれません。
常に不安を口にしている人、
常に心配している人、
常に怒っている人、
常に話題にしている事が同じの人、
常に人の評価を気にしている人、
人の前にさらされる事が苦手な人、
誰に対してとか、どんな時にとかもありますが、
全て自分です。
自分の表現です。
それは単なる正しいとか間違いとかだけではない。
きっとその本質に触れたいんです。
何度も言いますが、
誰がどうのこうの、その時の状況がどうのこうのは置いといて。
自分に問いかけてみる。
不安なら「不安」って何だろうとか、
いつも怒っているなら「怒り」って何だろうとか、
自分は何に対して不安を感じているのか、
怒りを感じているのか、
どの部分に反応しているのか、
違う角度からの反応を見てみようか、
自分は何を正しいとしているのか、間違いとしているのか、
これはやってみないと理解が出来ない事だと思うけど、
自分に問いかけて行くと不思議と自分の答えが出てきますよ。
いや!不思議でも何でもない、自分の答えだからです。
人や先生やカウンセラーや専門家にばかりに聞いていても
依存するだけで本当の答えだと気づかないんです。
どこかでまた聞けば良いと思っているからです。
自分で答えを出して行くと自分の答えに自信も出て来るんです。
悩みの相談する人や先生やカウンセラーでも…
自分で答えを出して行くように促してくれる人と出会えると良いと思います。
面白いもんで、
私もよく相談されたり、愚痴を聞いたりしますが、
そんな時は魂の問答のように対話したりします。
共感したり、提言したり、提案したりと…。
そうしているうちにその人はいつしか自分の答えを出して行きます。
その後、相談してたのも愚痴を言ってたのも忘れたかのように
自分だけで答えを出したかのように話したりしてますが、
もちろん私とだけではなく、
いろんな人にも聞いたりしているんでしょうが、
何度も同じ話を聴いたりしながら、
その経過を知ってる私は、
その人自身が立て直した事に自信をもって話す姿が
凄く愛おしく感じたりするんです。
人に話しながら自問自答しながら答えを出して行くと、
自分に問うていたのも忘れる、
その意識を終了し通り過ぎるからでしょう (^.^)
もがいて、彷徨っている時は自分が頑張っている時
何にもがいているのか彷徨っているのか
むやみやたらに向き合うよりも先ず自分に問いかける。
それも近道のひとつですね (^.^)
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