一体化の話をしていますが、
私も常々まだまだこの世を生きていますから
自分の信じる真理に添って、目指して人生を歩いているのですが、
真理に気づき、それを頭や思考だけでなく
自分自身に一体化になるように落とし込むというのが
「悟りの道」…この道が体験であり人生でもある。
その実践には壁もあり、
その壁は自分の思い込みの思考や概念
自分の癖、対人関係、いろいろです。
真理が分かればすぐに何でも良くなると思ったとしても
魂の体験も残っていますので
この世の脳で考えているようにはいきません
でもその考えている脳はホントこの世で落とし込まれた思い込み。
古い意識や伝統や慣習。
そして魂の経験にしたらこの世は一瞬の事。
不安や心配や恐怖心に駆られていても前へ進まないので
まず行動となるのですが、
楽しまないと損だなと思うのも正直な思いですよね。
私は遊園地のジェットコースターが怖くて子供の頃から乗れずにいます。
そのジェットコースターを思いながら複雑に思考が交差します。
年代によっても変化して行きます。
幼い頃は、恐怖心のみで、周りで見ていて目の前を通り過ぎる速さとゴーッって凄い音の感覚が自分の身体に伝わって来る感じに恐怖心しかない。
大きくなると、自分の身体がとろいのでスピ―ドに乗れないのと、お腹にくるGが凄くて耐えれないのと、機械も信じられないのと人の運転が信じられない。
その後は人が乗っているのを楽しそうに見ているのが好きだったり、
人が乗って楽しそうにしているのを観ながらちょっと試したくなったり、
勇気の無さがクローズアップされたり、
試した結果やっぱりスピードに着いていけなかったり、
そんなジェットコースター体験と共に別の体験しながら自分の恐怖心や心配性や不安性と向き合いながら
段々と解消されていった感はあります。
まあその後のジェットコースターは進化してもっと人間の肉体をえぐる程の性能になって行ったので、
肉体を酷使してまで挑戦して乗る必要ないかと乗っていません (^^;)
今、昔のジェットコースターがあるなら乗ってみようかなと思うかな(^^;)
なので、ジェットコースターでの確認作業はしていないのですが、
公園のローラーの滑り台の一番高いところからのスピードの速さと高さで確認して乗れるようになった事が凄く嬉しかったのです。
自分にとったら別の体験で恐怖心や不安性や心配性を解消していったなと思えているので (^.^)
人生って人それぞれです。
自分では目の前の事に必死で、一生懸命で、あたり前の人生でも
意外とジェットコースターのような人生でもあります。
ジェットコースターそのものを人生に例える事も出来ます。
私は自分の人生がスリル満点だとは思っていないのですが、
ジェットコースターと向き合った事でいろいろ自分を知れたりしました (^.^)
恐怖心や不安感や心配性だけではなく、
それに付随する事も
自分や人を信じる事もです。
体験を通して見えてくる自分です。
だれもその体験が自分に繋がっていると思わないのかも知れないけど
小さな体験でもそこに自分がいるんですよね
自分の心、自分の考え、自分の思い、いっぱいいます。
当たり前の体験、当たり前の日常
当たり前になっていたら気づかない自分です。
全部の自分、隅から隅までの自分を愛してあげれたら
本当に人生全うできるかと (^.^)
意外と自分の中と向き合うのも時間を要します。
だから人生何年も与えられているんでしょう (^.^)
必要な当たり前です。
今の季節の桜の樹に人生を投影して考え自分を知るも良しですね (^.^)
それも落とし込むところまで行き、
自分の意識の変化を楽しみながら悟りに繋げてみるのもありですね (^.^)
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