
この世の肉体の脳の記憶があり
心の記憶があり…これは感情にもよく現れます
そして魂の記憶があるという事です
本来、この世では肉体を借りて魂の記憶をたどり、心が消化していき成長します
人間は男女二人の出会いから生まれて、勝手に生きて勝手に人生を終えると思い込んでいますが
そこには全て魂の記憶が隠されています
見えないだけです
いや、観ようとしていないだけです
普段の行動が勝手に自分で決めて動いていると思っているのも思い込みで
本当は魂が誘導しているんです
魂が肉体を住処として魂が生きている
でも肉体の心が固まり過ぎて、思い込み過ぎて、目の前に見える景色が真実だと思いすぎて、目の前の物質が本物だと思いすぎて
心が翻弄され、見える次元に踊らされ、
見える次元の世界の概念や常識に心が縛られて
本当の魂の生き方をしていないんです
私もずっとそんな生き方だったと思います
少なくとも結婚するまでは…
周りのみんな自分と同じが当然だと思い込んで、人より劣る事が自分を蔑み自信がもてず、自分と違う人間が許されなくていつもモヤモヤグチグチやっていました
たまたまあるきっかけで自分の魂を磨こうとクリスタルガラスのようにダイヤモンドのように透明にキラキラ光るように磨こうって思ったんですよね
その時は生きるも何も考えていない無神論者で、
魂なんて知らんし、見えへんし、聞こえへんし…そんな私でした
今から思えば、それが魂の導きだったんでしょうね
何も考えないままただ無意識に、ただ素直に導かれていった
ホント、素直だったんだぁ~
今ではその時の私にホント感謝するんです、しています、その素直さに…
それからが知らず知らずのうちに魂の生き方の方向へ進んで行ったと思います
もちろん肉体の心も未熟だったので、この三次元の生き方も見直す事が必須でしたが。
それに、見えない世界の事を何も知らなかったので、その勉強も必要でした
勉強と言ってもなんせ頭が良い人間じゃなかったので (思い込みですが)
つらつらと文字を読むのも苦手、人の話を理解するのも苦手 (よく学校を卒業できたと思っています)
本も読めませんでしたから (^^;)
それでも後から気づくと、そんな私に合った勉強方法に出遭うもんですね
体験を通して、閃き、それがメッセージだと知り、
それを聖人、宗教人、偉人や先達の言葉や文節と出合い確認し
その繰り返し、また繰り返し、
一緒に学んでくれる人とも出遭い、そんな人にも教え伝える事で、また学び
ホント成長したと思います
それも神様と魂の導きだったんだと今なら理解できます
それを自分なりに自分哲学に落とし込んで行った
肉体の心を改革していった
それが先日解った閃きキーワード
早朝に目が覚め脳が光り輝いていて脳の覚醒が起こったという感覚
多分本当に嬉しかったんでしょう
「あ~私は(人間は)、魂の記憶を辿っているんだ!」という事
私が伝える事は魂が在るという事
魂は一つで繋がっているという事
その魂の声を聴くという事
魂の記憶を伝えるという事
そんな事をしていたんだ
そんな事がしたかったんだ
それを伝える事が嬉しい事で楽しい事だったんだ
無意識にしていたけど、言葉に落とし論理づける事が出来たって事は、何も知らなかった私にとったら凄い覚醒だったんです
魂の記憶、その奥の繋がっている魂は完璧なんです
私はその一部で完璧でなくてもいい
ただ魂の記憶を辿ればそれで良いんだと。 (^.^)
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