森の神様といわれている樹が北海道の美瑛町にあるという
ネーミングについ惹かれますね
以前から一度行ってみたいなと思っている北海道の美瑛町
景色が素敵だと言われているので憧れの地です (^.^)
北海道は一度スキーには行った事がありますが、
雪景色でしたので、違う季節の広大な大地も見てみたい (^.^)
最近では東部の海岸に野生のラッコやアシカが
人気らしいですがそれも良いですね (*^^*)
私、ペンギン・イルカ・ラッコ・アシカ…好きです (^.^)
陸の動物より海の生き物が好みなのも
何か意味があるのかなっていつも思います (^^;)
そうそう森の神様の樹、カツラの樹です
樹齢900年といわれている巨樹で
主幹にあたる部分はすでに失われていて、
ヒコバエの数々によって樹形を保っている状態。
それでも周囲は11メートルもあって迫力満点だそうです。
屋久島で見た屋久杉を思うと樹齢も大きさも可愛いもんですが、
ヒコバエという言葉を初めて知った私
うちの隣の公園の桜の木にも
幹の根元もしくは地中で小さな芽が出て伸びているのがそれの様です (^.^)
本来ならヒコバエが生えてきたら
栄養がそちらへ注がれるから枯れて行くので
ヒコバエを伐らないといけないと言っていました。
このカツラの樹はヒコバエの栄養を取り入れながら
長く上手く生育していると言っていました。
どちらが正しいのか分かりませんが、
どちらも正しいのだと思いました。
循環しながら生きるも
持ちつ持たれつと共存で生きるのも。
私達人間も同じだなとふと思ったんです (^^;)
若い人のエネルギーを日々頂いていると…。
エネルギーも知恵も知識も全てイコールです。
若い人から熱意と活気のエネルギーを受け取りながら
知識や知恵を与えているんだと。
色々循環しているんだと。
そういう気持ちを持っていたら良いんだと (^^;)
言葉で否定しながらとか、境界線を引きながら、
区別しながらは意識ですから…。
肉体の寿命はいつか来ますが、
魂はそうやって循環しています。
それを忘れず生きて、
いつか亡くなって行きたいなと思うのです。
その時はきっと安らかに肉体の寿命で、
神様へお返しするのかなと思っています。
心と魂は樹齢のように永く循環して行くのだと。
なので、ヒコバエ、若いエネルギーを頂く代わりに
私達老年はそれを認め心を柔軟に素直に純粋な心に
向かって行くという事をしないといけないのかなと思うのです(^.^)
そんな事を森の神様に教えてもらった感じです。
カツラの樹が立ち並んでいる中に
この巨樹につけられたネーミングだったのかな (^.^)
ふとこの記事を書きながら…
ハワイで見て来たバニヤンツリー、ガジュマルの樹も
そうじゃないのかって思いました。
そしてこのガジュマルの樹は菩提樹と言われています。
お釈迦様がこの樹の下で瞑想したまま入定したという。
お釈迦様の経典の生命の樹と言われています。
そう思うと、人間の人生の縮図が示されているのですね
老いも若きも共存しながらエネルギー循環し、
意識や知恵も循環しながら生きるという事と繋がりました (^.^)
やっぱ素晴らしいネーミングでしたね (^.^)
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