自分の人生のパズルを見てみるという話をしています。
自分の持っているピースを知る事も必須ですねという話。
本来は全てのピースをもち合わせています。
が、ピースを合わせている場面が違うかったり、
ピースが掛け違っていたり、
ピースが足りない、見つけられないという事でもあります。
ピースを合わせている場面が違うという事は、
その時の人生の部分において、事実が観えていないという事。
自分が目の前に観ている、また、向き合っている事実を
客観的に、また、しっかり本質を捉えられていないという事。
何故そうなるのか、
客観的事実に感情が邪魔しているからです。
事実は事実
これは変えられないもの
それに乗っかる感情で観方も変わる
捉え方も考え方も変わる。
事実は他者と共有するけど、
パズルの共有は無い。
感情は他者とも別です。
ひとつの事実に方や怒りを感じても
もう片方は笑えてきたりする事もある。
事実は共有してると思っても
方や重要に捉え悩むけど、
もう片方は問題視もしていない捉え方
ひとつの事実が
大切な人の死や、災害や事故だったとしても
それを共有したとしても
人によって捉え方や考え方や悩み方が違うのと同じです。
これは各々の感情がどう関わって来るかでもあるし、
他者との関係性や他者に対しての感情も関わって来る。
全ては自分の感情です。
相手に対して持つ自分の感情。
せっかく人生のピースを合わせて行くゲームだというのに
感情が邪魔してしまっているのはどうでしょ (~o~)
永くその感情を抱えているのはどうでしょう。
辛い事も時間が解決してくれると言いますが、
いづれ乗り越えないといけない感情です。
それも相手というより自分の感情を乗り越えます。
相手に対して怒りを持っている事でも
相手が無関心や無感情だとしたら余計に怒りが大きくなりますよね。
それも自分だけの感情です。
自分が向き合わないと解消されません。
パズルがハマらない。
他者にとってもそのピースは別のパズルでハメる人生が在るのです。
事実は同じで共有したとしても
完成のパズルは違うのです。
相手には相手の試練がある。
自分の人生は自分の感情に向き合う。
事実は変えられないけれど、
感情は自分でコントロールも出来るし、解消も出来る。
それでピースもハマればパズルも完成で、
人生も大成功 !(^^)!
嫌な感情、マイナス感情を長く抱えているよりも
すんなりパズル合わせて
次のパズルへ移動し、
テトリスのようにどんどん消して行く人生を送る方が良いと思う!(^^)!
そう思うようになった私です (*^^)v
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます