先日、仕事で新宮町に行ったので、足を伸ばして福津に行ってみた。
福津市とはいってもほとんど宗像市との境なので結構かかったけど、目的は世界遺産正式登録に向けて関係自治体が力を入れている「宗像・沖ノ島と関連遺産群」の“関連遺産群”の一つ・新原(しんばる)・奴山(ぬやま)古墳群。
沖ノ島や宗像大社は言うまでもないと思うけど、新原・奴山古墳群という地味なもの(個人のイメージです)まで入れるんかい!って、考えてみたら、新原・奴山古墳群って福津~宗像のR495沿いにチラっと見かけるアレだよなって思ってただけで、ちゃんと見たことはなかったんだな。
「宗像・沖ノ島と関連遺産群」のパンフレットにも載ってるアレです。 | |
なんでコレが“関連”なのかっていうと、「沖ノ島での祭祀を奉斎した宗像氏と海の民が築いた」からなんでしょう。 |
写真にはポコポコと古墳の小山が並ぶ美しい田園風景が写っているので、一度はしっかり見とかなきゃ、って思ってたのだ。
世界遺産登録っちゅうくらいだから、駐車場や案内板が整備された史跡公園みたいになってるんだろうと思ってたけど、Google Mapのナビに導かれて着いたところは、R495からちょっと入った林の中。
小さな説明板があって「新原の百塔板碑」と書いてある。
「なんだ、違う史跡を案内してるやん。Google Mapもアテにならんな~」(後から考えたら、説明板をちゃんと読めば、板碑が古墳の上に立てられているということが書いてあったんだろうが)と思って先に進むと、田園風景が広がって、なるほど、前方後円墳やら円墳みたいなものやらが大小ぽろぽろ並んでいる。
パノラマ風にくっつけた写真。矢印が古墳だと思われるもの。(TOPの写真も同様) |
そこそこ大きな前方後円墳。この後円部と隣の円墳は一部ビニールシートがかかってたけど、内部の調査中? | |
前方後円墳を調査するヤギ。 |
確かに古墳群はあったけど、駐車場もなければ古墳の案内や説明なども一切ない。
本気で世界遺産にしようと思ってるんだろうか?
古墳はまだまだありそうなので、R495に戻って先に進んでみた。
やっとあった、説明板。でも、表面ひび割れてボロボロ。 | |
説明板の背後にもいくつか古墳が。 | |
左手の円墳の奥にこんもりとした茂みがあって、鳥居が立っている。他の古墳とは様相が違うけど、こういう場合、この小山そのものが円墳ということも多々。<?td> | |
という訳で登ってみることに。鳥居の額には「縫殿宮」とある。石段はすでにボロボロ。 | |
蜘蛛の巣をかき分けて登ると、上は平らで、奥には小さな石の祠と、再び「縫殿宮」の額。まあ、上に登ったからといって、古墳かどうかの判断がつくもんじゃないけどね。 |
後で調べてみたら、この小山はやはり古墳だったけど、円墳ではなく前方後円墳(帆立貝型)で、前方部は木が茂って分からなかっただけなのかも。
それと、奴山地区には、宗像神の招きで機織り・裁縫の技術を伝えるために呉からやって来た四媛(ひめ)を祀る縫殿(ぬいどの)神社というのがあるらしいので、古墳の上の「縫殿宮」はその古宮ということかもしれない。
新原・奴山古墳群の古墳の様子は、航空写真でみるとよく分かる。
前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基の計41基が現存し、確認されたものでは全59基とのこと。
5世紀前半~6世紀後半に造られたもので、宗像君一族、またはそれに繋がる豪族(海の民?)の墓だと考えられます。
詳しい情報はコチラや福津市教育委員会発行の新原・奴山古墳群MAP(PDF)にて。
新原・奴山古墳群
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