雑感録

福岡なるほどフシギ発見~その5~ 奴国はどこへ行った

 
いきなりしょぼくなる古墳時代。
真相は闇の中か土の中か。

那珂八幡古墳(福岡市指定史跡)
4世紀初頭~(古墳時代初期)
今里不動古墳(福岡市指定史跡)
6世紀末~7世紀初頭(古墳時代後期)

こんばんば。
今週のミステリーハンター、T田テツヤです。
みなさんもご存知の通り、ボグの実家は福岡でタバコ屋をやってますがあ、場所はちょうど奴国のまん中あたりです。
そのせいか、よく弥生人に間違われますがあ、自分ではどちらかというと縄文人系だと思っています。
その奴国ですがあ、弥生時代には那珂川、御笠川流域で推定戸数2万戸・人口5万人と隆盛を誇っていたにも関わらず、古墳時代になるとどの歴史資料からも(というほどいろいろ調べてる訳ではないですがあ)、まるでそんなクニはなかったかのように、その名が消えてなくなります。
いったいどうやって奴国がなくなったのかさっぱり分かりませんがあ、4世紀頃にヤマト王権の影響が北部九州に及んだと言われているので、徐々に中央政権の支配に飲み込まれてしまったということなんでしょうかあ。
この頃から福岡あたりは儺県(のあがた)と呼ばれてるようで、「」つながりということでしょうか(ちなみにご存知の通り、博多湾は「の津」と呼ばれていますね)。
廃藩置県ならぬ廃クニ置県でも行なわれたのかもしれませんねえ。
では、古墳時代の儺県はどんな様子だったのか、主な古墳を訪ねてみましょう。

え~、ボグはいま、博多区那珂1丁目の那珂八幡宮に来ています。
なぜここに来たかと言うと、4世紀初頭、奴国後(???)のこのあたりを支配した首長の古墳があると聞いたからです。
目の前にはこんもりと木が茂った小山があり、鳥居から階段が長上に向かって伸びています。

では、さっそく上ってみましょう。

社務所もない小さなお宮があります…。
それだけです…。
降りてみましょう。

説明板がありました。
どうやらこの小山がその古墳のようです。
なんでも、長さ75m以上、高さ8mの前方後円墳で、埴輪も石室もない典型的な発生期の古墳だとのこと。
今ある小山は、その上の方ということでしょうか。
その古墳の上に、後から神社が建てられたということのようです。
この古墳にはお墓(?)が2つあって、そのうちの一つは社の下にあるため発掘されいないそうですが、もう一つからは銅鏡や勾玉などが出土していて、その鏡は卑弥呼が魏の明王からもらったといわれる三角縁神獣鏡なんだとか。
卑弥呼と言えば、最近、纒向(まきむく)遺跡から巨大な宮殿跡が発掘され、これが卑弥呼の宮殿ではないか、であれば邪馬台国=畿内→ヤマト王権説がかなり有力になるのではないかと騒がれてますが、それが事実で鏡が本当に卑弥呼から賜ったものならば、やはりヤマト王権とつながりのある重要な人物のお墓ということになりますね。
もともとこの辺は奴国の商業地域だったらしいですが、この頃に王都もこの辺りに引っ越してきたという話もあります。
ただ、まだ王国だったのか、儺県の県庁所在地的なものだったのかはさっぱり分かりません。
古墳の隣には福岡市埋蔵文化財センターの分室があるくらいだから、やはり考古学的に重要な古墳なんでしょうが、それにしては史跡としてほとんど整備されてなくて、所詮は市の史跡どまりといった印象です。
追記2019.2.16
この福岡市埋蔵文化財センターの分室あたりで行われていたと思われる前方部の発掘調査がひと段落したようで、現地説明会に行ってきた。


しかし、ここに限らず◯◯八幡古墳とか神社になってる古墳はけっこう多いようで、そこに誰が埋められてるのか知っていたかどうかは分かりませんが、後の人たちにとっても古墳は神聖なところと考えられて、神社なんかが建てられたのかもしれませんね。
小山の上に小さな神社があったら、要チェックです。
でも、勝手に掘ったらきっと怒られますので、要注意です。

さて、CMのあとは、福岡平野では最大級の古墳で、石室の中に入れるという今里不動古墳に行ってみましょう。こちらも市の史跡という、イチモツもとい一抹の不安はあるのですがあ…。

チャラチャチャ~
<CM>


ここは、金隈遺跡の少し南の方にある今里不動古墳です。
石室に入れるというのでそれなりに整備されてるのかと思ったら、那珂八幡古墳よりもっとひどいです。
表通りには案内板の類いは一切ありません。
さんざん迷った挙げ句、埋蔵文化財センターでもらった文化財地図のコピーを頼りに小道を上ってきたら、「今里不動古墳この道下ル」みたいな小さな立て札があって、下ってみると説明板がありました。

説明によると、那珂八幡古墳の250~300年くらい後の古墳時代後期に造られた、直径34mの円墳だそうです。
上の木の茂ったところが墳丘なんでしょうか。
この脇の掘建て小屋の奥に石室があるようですね。
勝手に入らんね状態です。
では、入らせていただきます。

まっ暗で何も見えません。
カンでストロボを焚いてみます。

なるほど、ここもお不動さんが祀ってあるみたいですね。
こういう石室の造りは、玄室の前に前室がある複室構造というらしいですが、説明にある福岡平野最大級というのは石室の大きさのことでしょうか。
古墳の大きさなら先の那珂八幡の方が75mとでかいですから。
御笠川中流域を治めた有力豪族のお墓とありますが、まあ、このしょぼさなら豪族どまりでしょう。

それにしても、このエリアは古墳はそこそこあるのですが、どれもしょぼいものばかりのようです。
ボグが知らないだけなのか、まだ発見されてないのか、とっくの昔につぶされてしまったのか…。
あるいは、すでにヤマト王権の強力な支配下に置かれて、立派な古墳を造れるような王レベルの権力者が一掃されていたのかもしれません。
しっかりした古墳は、西の伊都エリアや県南の方が多いようなんですね。
奴国は早くからヤマト王権の直轄地になって、伊都国や県南の方は連合王国みたいな形でその後もしばらく、クニが続いていたのかもしれません。
定説によると、古墳時代の始まった4世紀ごろは頼りの中国の文献に日本に関する記述がほとんどなく、記紀の記述も最初の方はなぞかけみたいなものなので、どがんなっとたとかよう分からんったいってのが正直なところのようです。
なんだか盛り上がりに欠ける内容でしたが、今週はこの辺で。
さようなら。

那珂八幡古墳

大きな地図で見る
福岡市博多区那珂1-44
見学自由
駐車場:なし

今里不動古墳

大きな地図で見る
福岡市博多区大字金隈2-2
見学自由
駐車場:なし

関連スポット
福岡市博物館(おまけ4)
福岡市埋蔵文化財センター(おまけ3)

つづく

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