この前の土曜日、福岡市博物館の『栄西と中世博多展』の初日に行ってきた。
聖福寺の開山としての栄西(ようさい)は少しだけ齧ってはいるが、臨済宗を極める2度目の渡宋の前に12年誓願寺などに滞在していた今津時代のことは全然知らないし、聖福寺の宝物庫に眠っているお宝も見てみたいと思いまして。
栄西さんってのはあの極端な茶筒状の頭が特徴的だけど、やっぱあれは本当だったんだろう。
どの像や肖像を見ても頭だけは同じ形で表現してある。
展示の前半は、栄西自筆の国宝「誓願寺盂蘭盆縁起(せいがんじうらぼんえんぎ)」など書蹟の類い。
ただね、書蹟など見ても有り難味がわからないので、栄西さんは字がうまかったんだなあ、いや、こっちのは雑だぞ、くらいの感想しかない。
気がつくと現物は見ずに説明書きばかり読んでいたりする。
例えば件の「誓願寺盂蘭盆縁起」。
これがなぜ国宝なのか。
栄西自筆なので貴重な物であることは分かるけど、他にも自筆の書蹟はある訳で、なぜこれだけが国宝に指定されたのか。
その訳をひとこと解説しててくれれば素人には分かりやすいんだけどなあ。
おもしろかったのは、近年(2008年ごろ?)になって名古屋の大須観音の「大須文庫」で見つかったという栄西の書簡など多くの文献(大須観音と栄西にどんな関係があるのかはさっぱり分からんのだが)。
これらによって、これまで12年といわれていた栄西の今津滞在期間が14年(足掛け15年)だった可能性が高まったのだとか。
また、これも大須文庫から発見された、栄西が著したという『隠語集』。
淫媚なタイトルの通り、仏教の教えを男女のまぐわいに例えて解いた書物だそうで、確か「金胎両部一体」(金=♂、胎=♀)をよしとするようなことだったと思う。
ぜひ口語訳を読んでみたいものだ。
関係ないけど、映画『グレムリン』の変な生き物、あれもマグワイだっけ?(違います。モグワイです。)
あと、見ものはやっぱり聖福寺所蔵のお宝。
特に、戦火で焼失した開山以来の丈六の三世仏で唯一残ったといわれる阿弥陀仏の左手。
丈六(一丈六尺=4.85m)なので手もかなりの大きさなのだが、見たとたんにそれと分かって、何かゾクゾクするものを感じてしまった。
あと、後鳥羽上皇御宸筆の勅額。
これ、宸筆を賜って以来のものだと思ってたら、安土桃山時代のものと書いてあった。
宸筆が残っていて、作り直したということだろうか。
ちょっと気になったのは、ガラスの向こうに吊るしてある書画の類い。
ガラスに後ろの照明が映りこんでかなり見づらかった。
ディスプレイを工夫してるのは分かるけど、肝心の展示物が見づらくちゃねえ…。
ところで、この日はオープニング記念で聖福寺のご住職の講演もあったんだけど、定員200名の会場は立ち見が出るほどの大入り。
檀家のみなさんがこぞって訪れたのだろうか。
僕の隣には意外にも若そうな(顔を確(しか)と見た訳ではないので分からないが)女性が座ってたんだけど、総竹扇子なぞ使っていたのでその筋の人かもしれない。
ご住職は例によって栄西は「えいさい」ではなく「ようさい」、聖福寺は「日本最古」じゃなくて「日本最初」の禅寺だとやたら強調なさっておられた。
ちなみに、展覧会の前に予習を兼ねて今津の誓願寺に行ってきたのが、これが意外にも寂れた(失礼)小さなお寺だったのでびっくり。
今津とはいえ海沿いではなく山に囲まれた田園地帯にあるんだけど、山門もなく(車で入ったので、山門は別の入口にあったのかも)、本堂と思われる建物はコンクリート製で味も素っ気もない(失礼)。
『福岡市の文化財』の文化財情報によると、かつては広大な敷地に42の子院を持つ大規模なお寺だったらしいけど、今は大泉坊(って何だ?)を残すだけになっているとのこと。
今までに行ったのが立派なお寺が多かっただけで、こういう田舎の方で再興資金が乏しくて細々とやっている(失礼)ところもあるということなのかなあ(あくまで想像ですが)。
そのためか否か、「誓願寺盂蘭盆縁起」ほかのお宝は、たいがい九州国立博物館に寄託しているようだ。
誓願寺の本殿?(これが大泉坊か?)「ご自由にお参りください」と書いてあったが、お勤めの最中だったので遠慮しておいた(別に信心がある訳もないし)。 |
ちなみに聖福寺絡みでは、9月14日(火)~11月7日の期間、福岡市美術館で『仙厓(せんがい)展 仙厓(せんがい)さんとおともだち』が、10月1日(金)~7日(木)は仙厓(せんがい)の命日にちなんだここ数年の恒例イベント『仙厓(せんがい)と七日間』が開催されます(どちらも期間終了後はリンク切れの可能性あり)。
誓願寺
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福岡市西区今津851
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