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僕のライフワークの一つに「福岡の日本史」というのがあるんだけど、なかでも得意なのが元寇、いわゆる「蒙古襲来」だ。「文永の役」では元軍の上陸を許しながらも、鳥飼や赤坂、麁原山、筥崎宮など福岡ではお馴染みの場所で陸上戦が行われ、「弘安の役」では鎌倉幕府が造らせた石築地のおかげで元軍の上陸を阻み、長期戦に持ち込んだところで江南軍が待機する鷹島沖を台風が直撃。元軍は壊滅的な被害を被ったところに日本軍が掃討戦を仕掛け、なんとか元軍を撃退したのだ。
知り合いが長崎県松浦市の広報を請け負っていることもあって、元寇関連の仕事もたびたびやらせてもらっていたのだけど、3冊目の本制作の関係もあって、さらに松浦へ足を運んだりしていた。
また、これより約250年前の平安時代、「刀伊の入寇」という事件で、これも赤坂で陸上戦が行われている。このときは“さがな者”とよばれた太宰大弐の藤原隆家の活躍で賊を撃退したんだけど、海の武士団・松浦党の始祖ともいわれる(諸説あり)松浦知(しらす)も活躍している。
ちなみに、この先述の知り合いの女性には、企業や自治体の広報誌など、フリーランスの仕事ではさんざん世話になった。ありがたいことである。
※TOPの写真は福岡ではないが、たびたび原稿関連の取材で訪れた、元寇終焉の島・鷹島(長崎県松浦市)。
(つづく)
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