そのころ、僕は今の配偶者と付き合っていた。僕の会社にバイトで来ていて、編集の仕事を手伝ってもらったりしていたのだ。当時、彼女は結婚してたけど旦那とは別居中で、ちょくちょく彼女のアパートに遊びに行ったりしていた。やがて彼女は福岡に引っ越すことになり、もう会うことはあるまいと思っていた。
ところがある日、彼女から妊娠したとことを告げられた。そういうことならば、離れたとはいえ付き合っていた男のけじめとして結婚するしかあるまい。僕はタウン誌のネットワークで関係の深かった福岡のタウン情報誌の編集部に転職し、結婚することにした。このタウン情報誌は当時のバブルの勢いもあって、地方誌ながらABC公査で実売10万部を数えるというモンスタータウン情報誌だった。しかし、バブルの崩壊とネットの普及、中央資本の競合他社の地方進出、そして何より会社の投資失敗などで、ある年、タウン情報誌は休刊に追い込まれてしまった。ふつう「休刊」といえば、そのまま「廃刊」となってしまうものなんだけど、会社の事情でタウン情報誌がなくなるなんて、こんな馬鹿げたことはないと、社員の大半は退職するなか、有志数人で会社の再建を目指し、およそ半年後にはリニューアルした月刊誌(休刊までは隔週刊)として復活を遂げた。
その後、親会社である印刷会社も支えきれなくなって、会社をパソコン系の小売会社に身売り。買ってもらったのは有り難かったんだけど、なんせ「ものづくり」の会社と小売りの会社では根本的な考え方が違う。しかも、いつまでも若向きの情報誌の編集もやっとられんなあと思って、「福岡の日本史」を得意分野として退職。名刺がわりに「ぶらぶら福岡まちあるき」という福岡の史跡巡りの本を出した(これが印税契約だったので、いまだに毎年ちょっとずつでも印税が入ってくる)。
また、フリーランスのライターとして原稿を書きながら、タウン情報誌編集部時代の経験を生かして、専門学校の非常勤講師として雑誌編集専攻の「雑誌編集」(3〜4年で志望者がいなくなって終了)とノベル作家専攻の「日本語表現演習」(日本語作文の書き方)を教えるようになった。
(つづく)
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