雑感録

幸福論(1)

発売中の『AERA』の特集は「婚活」。
別に婚活そのものについてはどうでもいいのだが、ブログで予告されていた内田樹のコラムが面白かったので、ブログの方を引用。

どのような相手と結婚しても、「それなりに幸福になれる」という高い適応能力は、生物的に言っても、社会的に言っても生き延びる上で必須の資質である。
それを涵養せねばならない。
「異性が10人いたらそのうちの3人とは『結婚できそう』と思える」のが成人の条件であり、「10人いたら5人とはオッケー」というのが「成熟した大人」であり、「10人いたら、7人はいけます」というのが「達人」である。
Someday my prince will come というようなお題目を唱えているうちは子どもである。
(中略)
配偶者を選ぶとき、それが「正しい選択である」ことを今ここで証明してみせろと言われて答えられる人はどこにもいない。
それが「正しい選択」であったことは自分が現に幸福になることによってこれから証明するのである。
だから、「誰とでも結婚できる」というのは、言葉は浮ついているが、実際にはかなり複雑な人間的資質なのである。
(中略)

いまの人々がなかなか結婚できないのは、第一に自分の「人を見る眼」を自分自身が信用していないからであり、第二に「いまだ知られざる潜在可能性」が自分に蔵されていることを実は信じていないからである。
相手が信じられないから結婚できないのではなく、自分を信じていないから結婚できないのである。
というような話をする。

(学院標語と結婚の条件)
http://blog.tatsuru.com/2009/04/09_1010.php

昔は「半径5m(10mだっけ?)の法則」みたいなことが言われていて、結婚(もしくは付き合う)相手は半径5m以内にいる(逆を言えば、半径5m以内にそれらしい人がいなければ相手をゲットできない)というようなことだったと思う。
まあ、フツーに生活していれば、出会って親しくなれる異性なんて所詮そんなもの。
もし「理想の相手」「相性ぴったり」なんて夢のような人が実在するとしても、半径5mのテリトリーに現れる確率は僅かでしかない。
たまたま道ですれ違って「あ、アナタは私の運命の人です」なんて声をかけたとしても、シカトされて逃げられるのが関の山である。
肝心なのは、最高の相手を見つけるのではなく、最高の相手にすること。
それにはまず求めることよりも受け入れること。
受け入れる懐の深さが磨くべき人間の資質であり、幸福のしきい値を下げる(幸福になりやすくなる)。
な~んて昔はそんな分かったようなこと考えたりしてたんだけど、自分自身はそんな度量もないし、結婚したいと思ったことも幸福になりたいなんて思ったこともありゃしない。
そんなヤツになりゆきで付き合わされるハメになった人はいい迷惑であろう。
オイラとしては、ただ申し訳ないとしか言いようがない。

(つづく)

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