見出し画像

雑感録

福岡なるほどフシギ発見~その7~ 勃発、九州独立戦争!?

 
石人に守られた古墳の主は、
反逆者か、悲劇の英雄か。


岩戸山古墳(国指定史跡)
528年ごろ?(古墳時代後期)

ヤマト王権が各地の豪族と連合して連邦国家を形成するようになってすでに2世紀が過ぎていた。
かつてのクニグニは中央の緩やかな支配を受ける国となり、人々はそこで子を産み、育て、そして死んでいった。
地球西暦00527、大和からもっとも遠い筑紫の国はイワイ皇国を名乗り、ヤマト王権に独立戦争を挑んできた…。

こんばんは。
今週のミステリーハンター、Bライト・ノア中尉です。
今回は九州最大級の古墳で、筑紫君磐井(つくしのきみいわい)の墓といわれる八女の岩戸山古墳に来ております。
この頃の福岡は、後の筑前・筑後を合わせた広い地域が「筑紫」と呼ばれていたようです。
筑紫君磐井と聞けば、普通は「筑紫君」が肩書きで「磐井」が姓だと思いますが、資料によると、どうも「筑紫君」は姓で、「磐井」が名前なのでしょうか。
多分、氏姓制度とかいうもので、地球の古代の制度はよく分かりません。
岩戸山古墳は磐井が生前から造っていたものとも言われ、築造者、被葬者が確定している極めて珍しい古墳だそうであります。

磐井と言えば、冒頭にありましたように、「磐井の乱」でヤマト王権に反旗を翻(ひるがえ)したことで知られています。
当時、朝鮮半島のミナマ(任那)には日本府があり、クダラ(百済)は連邦と友好関係にありました。
仏教やさまざまな大陸文化はこれらを経由して日本に伝えられたといいます。
クダラはシラギ(新羅)、コウクリ(高句麗)と敵対関係にあり、連邦もそれに準じていたようです。
ちなみにシラギとコウクリも敵対関係にあり、状況によってクダラとコウクリが連合したりクダラとシラギが手を結んだりして、その関係は結構複雑です。
連邦の地方支配、朝鮮出兵の負担、失敗続きの外交など諸説はありますが、連邦への不満を募らせていたイワイは、シラギの誘いを受けて挙兵を決意。
ヒノクニ(熊本?)、トヨノクニ(大分?)を配下に置き、6万の兵を率いて朝鮮半島に向かう連邦のオウミノケヌ(近江毛野)の軍の渡海を阻止します。
さらには朝鮮半島からの朝貢船の略奪も行なっていたそうです。
時の天皇・ケイタイ(継体)帝は、モノノベノアラカイ(物部麁鹿火)を将軍に任命し、討伐軍を派遣。
1年半に及ぶ反乱は、ア・バオア・クーならぬ筑後平野での最終決戦で連邦が勝利し、イワイはアラカイ将軍の手によって処刑されたと言います(逃亡説もあり)。

ここで謎とされているのが、反逆者である磐井の巨大な墓がなぜ取り壊されずに残っているのか。
さらに突っ込んだ話としては、この事件は反乱ではなく、単にヤマト王権が危険分子とみなした磐井を排除しただけではないかとか、実はヤマト王権の支配はそこまで確立されてなく、勢力を拡大する際の地元勢力との衝突ではないのかなど、さまざまな説があるようです。
とにかく、その磐井の墓と言われる岩戸山古墳を見てみましょう。


古墳の大きさは全長135m、周堤まで入れると170mという大きさです。(写真は緑のある季節(2010/9/29撮影)と差し替えました)
特徴的なのは埴輪とともに発掘された石人などの石像と、後円部のよこにある「別区」と呼ばれる広場です。
別区には盗人を裁判する様子を表した石像があり、裁判場あるいは祭祀場と考えられています。
また、八女は今でも石灯籠が特産物となっていますが、その材料は石像と同じく阿蘇凝灰岩という加工しやすい石で、この辺に産地があるのでしょう。

別区には石人が並んでいるが、これらはすべてレプリカ。本物は近くの岩戸山歴史資料館に展示してある。
前方部からみた古墳。この日はミノフスキー粒子が濃くて、先の方は霞んでいる

周辺は歴史公園として整備されていて、竪穴式住居や高床式倉庫が復元・展示してある。


さて、CMの後はすぐ近くで石人などの出土品を展示している岩戸山歴史資料館に行ってみましょう。

チャラチャチャ~
<CM>



岩戸山歴史資料館は、岩戸山古墳を中心に、300はあるという八女丘陵の古墳の主な出土品などを展示する資料館です。
受付の女性によると、展示品のいくつかは九州国立博物館で開催中の「古代九州の国宝」に貸し出し中とのことでしたが、それなら先日見てきたので構いやしません。
また、女性は「ここは写真撮影OKの博物館ですから、いくら撮ってもらっても構いませんよ。カメラはお持ちですか?」とおっしゃっておりました。

岩戸山出土の石人。よく見かける武装石人や石馬は確か「古代九州の国宝」の方にあったと思う。もうちょっとしっかり見ていればよかったかな。
石像(資料館では「石製品」と表記)は酸化鉄(赤サビ)を主原料とする「べんがら」という顔料で塗装されていたそうで、この石人の首まわりや脇腹にもかすかに赤い色が残っている。
こちらは立山山古墳で出土した「鞍にのった貴人」の埴輪。


なお、帰り際に受付の女性と話しているうちに、重大な事実が発覚しました。
岩戸山古墳の内部主体は未だに発掘調査されていないそうであります。
女性によると、崩れたりする恐れのない遺跡の内部調査は後回しになるとのこと。
ということは、開けてみたら実は別人の墓だったなんてことがあり得ないとは限りません。
たぶん、文献などと照らし合わせて、磐井の墓だということは確定的なんだとは思いますが。
また、帰ってパンフレットを見て気づいたのですが、展示している石人には「男根を持った石人」というシュールなものもあった模様。
今後行かれる方はぜひご確認をお願いします。

自分で確認してきました。別に握ってる訳ではないので「持った」というのは語弊があるかも。「男根のある」とか「男根がついた」とかかなあ、う~ん。


次回は「磐井の乱のその後」。
君は生き延びることができるか。

岩戸山古墳

大きな地図で見る
八女市大字吉田甚三谷
見学自由
駐車場:あり

●岩戸山歴史資料館

八女市吉田1396-1
電話:0943-22-6111
開館時間:9:00~17:00
休館日:月曜(祝日の場合は翌日)、年末年始
入館料:一般130円、小中学生70円
駐車場:あり
http://www.city.yame.fukuoka.jp/iwatoyama/

つづく

←ひとつ前へ--CONTENTSへ

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「なるほど」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事