どこにある?
兵(つわもの)どもが夢の跡
兵(つわもの)どもが夢の跡
探題城1293年?~(鎌倉時代後期)
こんにちは。
今週のミステリーハンター、Gで~す。
夏バテで少々くたばってま~す。
さて、2週連続で元寇についてお届けしましたが、その後、鎌倉幕府は鎮西探題というものを設置しました。
目的は九州統括ということらしいですが、3度目の来襲が懸念される元への備えもあるでしょうし、何より2度の元寇に対する恩賞に不満をもつ御家人を抑えなければならなかったはず。
探題には得宗家(北条家)関係から人が出されており、訴訟はここで裁かれ、鎌倉までもってきてはいけないということだったようです。
この鎮西探題の拠点が探題城で、探題館とも鷲尾城とも呼ばれるものが愛宕山(鷲尾山)に築かれていたそうです。
今は愛宕神社があることでよく知られる山で、第二次大戦まではケーブルカー(名前は「愛宕山ケーブルカー」だけど、実際はロープウェイ)が引かれていました。
で、実は探題城がこの山のどの辺りにあったのかもよく知らないまま行ったのですが、どうもこのケーブルカーの山頂駅あたりが城跡だったようです。
ひょっとしたら、ケーブルカー建設で、城の遺構はあらかた潰しちゃったのかもしれません。
あるいはもっと前に福岡城築城で石垣の石を持っていかれちゃったとかね。
茶店の裏が探題城があったと思われる山。茶店の脇に上に登る階段があるのは見つけたんだけど、特に案内もないし、とにかく暑かったので登らなかった。不覚也。まあ、登ったところでそれと分かるものは何もないらしいが、涼しくなったらまた行ってみようっと。 | |
で、涼しくなってないけど登ってみた(2010年8月21日)。探題城はおろか、ケーブルカーの駅の跡すら残ってない。念のために茶店のおばちゃんに訊いてみたら「鷲尾城というのがあったんですよ。今は何も残ってませんけど」とのこと。カブトムシとかいるんじゃないかと思って探してみたら、コクワガタがうじゃうじゃいた(ヤブ蚊もうじゃうじゃいた)。 | |
愛宕神社は景行天皇の時(西暦72年)の創建といわれ、まあ日本書紀の記述だろうから年代は当てにならないけど、福岡では最古級の神社であることは間違いない。当初は鷲尾神社だったが、愛宕神社となったのは1634年(江戸時代前期)のことだとか。 | |
ほうずき祭り(現在は海の日とその前日)は終わったけど、まだほうずきの季節ということか、ほうずきや輪くぐりようの大茅(だいち/上の写真)がまだあった。 |
鎮西探題によって北条氏の九州支配が強化されたことに、九州の御家人はさぞ不満だったんでしょう。
鎌倉時代も末期、後醍醐天皇が倒幕を全国に呼びかけた1333年、ついに肥後の御家人・菊池武時(きくちたけとき)が挙兵しました。
きっかけは武時が鎮西探題に出仕した際、遅れてきたことを役人に非難されて口喧嘩になったというあまりにつまらないことらしいですが、その2日後には挙兵しているので、始めから鎮西探題を攻めるつもりだったんでしょう。
探題で行なわれた何かの裁判で武時が敗訴したことを根に持っていたとも言われています。
事前に少弐氏や大友氏に根回しをしていたらしいのですが、いざ事に及ぶと両氏ともこれを裏切り、武時軍は単独で博多の街に火を放ち、探題館に攻め入るも敗死。
なお、この時の探題館は鷲尾山ではなく櫛田神社の近所ということになっているので、この頃には不便な山の上でなく街の中で執務していたのでしょうか。
探題城などなかったのごとく一切触れず、櫛田神社近所の探題館のことしか述べてない資料もあるので、実際のところよく分かりません。
とにかく、武時軍はことごとく首を討たれ、犬射馬場とかいうところ(犬を相手に弓の練習でもしたのか?)に晒されたそうで、地下鉄工事の際に東長寺前から100個以上の頭蓋骨が発見され、武時軍のものだと推測されているそうです。
武時の胴体を埋めたとされる七隈の胴塚の場所に江戸時代になって建てられたのが、その名もずばり菊池神社。
首が落ちたと言われる六本松3丁目には首塚があります。
なぜ探題館で討たれて東長寺前に晒されたものが七隈や六本松に塚があるのかは、神の味噌汁といったところでしょうか。
菊池武時を祀る菊池神社。宝物殿まであるようだが、どんなお宝があるのやら。 |
菊池神社の狛犬。犬とか獅子とかいうより、しっかりライオンの姿をしている。 | 本殿裏の丘にある石碑。「天保二年」(1831年)とあるので、菊池氏の子孫・城武貞が建立したという墓碑かも。残念ながら表側を見ることはできなかった。 |
なお、菊池武時挙兵の2カ月後、鎌倉幕府の最後の執権・北条高時らが新田義貞勢に滅ぼされた3日後になって、少弐や大友は島津とともにようやく鎮西探題を攻め滅ぼしています。
余談ですが、菊池氏は地場のご家人ですが、少弐、大友、島津は鎌倉幕府創設当時に平家勢力が多い九州に派遣された「下り衆」と呼ばれる“天下り”組。
まあ、ちゃっかりしていると言えばちゃっかりしています。
一方、武時は後に「帝のために命を懸けた忠誠の第一人者」と南朝方の楠木正成に賞賛されたとか。
さて、あまりに暑いのでここらでちょっとひと休み、CMです。
チャラチャチャ~
<CM>
鎮西探題は、室町幕府になっても九州探題としてその役割を引き継がれました。
李氏朝鮮との外交も行なっていたそうです。
姪浜小学校の裏にある探題塚は、1534年(戦国時代後期)に大内氏に滅ぼされた、室町幕府最後の九州探題・渋川堯顕(しぶかわ たかあき)が葬られたとされているところです。
埴安(はにやす)神社ともある探題塚。西区の広報紙によると、近所の人々からは「痔の神様」として親しまれているらしい。僕もときどきイボ痔が出るので、しっかりお祈りしてきました。 |
社には「探題将軍」の額が掛かっている。 |
右手奥には「埴安神社」の鳥居があって、その奥は荒れている。「探題塚の由来について」の碑文に「数年前の大風雨で荒廃した本殿等を修復云々」とあるので、元はここに社があったのだろう。確かに地面にはコンクリートの基礎のようなものがある。 |
実は渋川堯顕という人は福岡の文献に出てくるばかりで、実在の人物かどうか怪しいらしいです。
ひょっとしたら、勝手に探題を名乗ったのか、その前の探題とされている渋川義長(よしなが)あたりと混同されているのかもしれません。
今回は地味なスポットばかりでしたが、とりあえずこの辺で。
また来週~。
探題城
福岡市西区愛宕2-6
菊池神社
福岡市城南区七隈7-3-8
駐車場:参拝者用あり
探題塚
福岡市西区姪の浜2-15
●寄り道スポット
岩井屋
愛宕神社の門前の茶店で創業は1689年(江戸時代前期)。定番のいわい餅(150円~)のほか、夏はかき氷の類いも人気。
さすが岩井屋。見ての通り(分かるかな?)、かき氷(小300円)の氷もジャリジャリではなくフワフワ。子どもへのサービスで花火までつけてくれたのだが、本人はつかまえたコクワガタに夢中で関心を示さず。恐縮です。(2010年8月21日撮影) |
営業時間:9:00~os18:30
定休日:なし
駐車場:目の前が愛宕神社第1駐車場
(つづく)