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雑感録

福岡なるほどフシギ発見~おまけ19~ 嘉麻にもあった、秀吉の一夜城

 
益富城址
1429年(室町時代中期)築城~1615年(江戸時代前期)廃城

この夏、万葉歌人で大宰府に赴任していた山上憶良が訪ねたという嘉麻市に仕事でたびたび行ってきたんだけど、ここにもありました。秀吉の足跡。
嘉麻市の真ん中あたりにあった益富城は、1430年頃に、九州に進出していた大内盛見(もりはる)によって築かれ、後に毛利氏の支配となって、戦国末期には秋月氏の支城になっていた。
島津に従属して領地を広げていた秋月氏は、1587年に九州征伐で秀吉の大軍が押し寄せてくると、益富城を打ち壊して南にある本城の古処山城に退却。
ところがある夜、益富城の方を見ると、麓の町は秀吉軍のかがり火で埋め尽くされ、夜が明けると益富城が一夜にして建て直されている。
おったまげた当主・秋月種実(たねざね)は、髪を下ろし、島井宗室から取り上げた「楢芝肩衝」を献上して秀吉に降伏した。
しかし、町を埋め尽くしたかがり火は、実は地元・大隈の町民たちに焚かせたもので、一夜で建て直した城は、町民から障子や戸板、畳を集めて造ったハリボテの城だったのです。
不戦勝に気をよくした秀吉は、町民に陣羽織と佩刀を与え、貢税を免除したという。

追記
陣羽織は昭和35年に華文刺縫陣羽織として国の重要文化財に指定されていますが、それまでは宴席などで町民が着まわしていたとか(笑)

秀吉の一夜城といえば、墨俣(大垣)や石垣山(小田原)が有名だけど、墨俣は砦の態は成していたようだし、石垣山は森の中にこっそり作って完成してから周りの木を切り倒し、あたかも一夜で造ったように見せただけで、城としてはしっかりしたものだったらしい。
一夜で城ができていた、という敵への心理的効果からいえば、益富城が最も効率的かつ効果的な一夜城といえるかもしれない。

その後、益富城は黒田藩の後藤又兵衛、母里太兵衛が城主となり、1615年の一国一城令で廃城となった。

てな訳で、行ったのは8月某日。
益富自然公園の道をうねうね登って、ダート道をしばらく行ったところに駐車場があり、二の丸跡にある「益富城址」の石碑までは我がちんばさんの足で10分程度。(2015.4.8追記/ダート道が柵で塞がれて入れなかった)
健常者なら5分でいけるかな。
仕事だったのと暑かったのとで、途中の「空掘跡」や「畝状竪掘跡」などは素通りしちゃいました。


「益富城址」の碑。横には二の丸跡の碑が。ここから本丸に向かって細長く平らな土地が続く。
二の丸跡から1mぐらいゆるやかに上がったところが山頂(標高187m)の本丸跡。まわりには石垣があるが、城跡のものなのか後から造ったものなのか不明。写真奥にある蔵のような建物は「一夜城まつり」(後述)に使う資材の倉庫か?


案内板にあった益富城の概要。東の豊前方面への守りを固めているそうな。


益富城址では、毎年10月に「一夜城まつり」が行なわれていて(確か秀吉が一夜城を築いたのは4月ごろのはずなんだけど…)、3Dグラフィック(!?)で作られたハリボテの城が2週間ほど設置され、夜はライトアップされるそうな。

「一夜城まつり」のライトアップの様子(嘉麻市観光ポータルより拝借)


ちなみに、益富城のあった山は神功皇后伝説も伝わっていて、皇后が三韓征伐の前に朝倉あたりにいた熊襲をこの山へ追いつめ、討伐したということだそうです。

2015.4.8追記
今度は母里太兵衛絡みで再び益富城址へ。
今回は4月とはいえ少々寒いくらいだったので、若干の余裕あり。
本丸の奥の方も覗いてきた。

“一夜城”の際に秀吉が白米を流させ、水が豊富にあるように見せかけたという白米流し跡
霞んで見えないけど、白米が流れ落ちるのを見せつけたであろう古処山方面。
こちらは後藤又兵衛や母里太兵衛が対峙した豊前方面(だと思う)。
本丸奥の枡形虎口あたり。石垣が綺麗に残っているように見えるが、実は土嚢が多々。

本丸周辺の案内図

こちらは反対側の二の丸に入る枡形虎口あたり。柱は搦手門があった場所か?


益富城の搦手門(裏門)は、麓にある母里太兵衛の菩提寺・麟翁寺に移築され、山門となっている。
ご住職によると、太兵衛は城の搦手門を通って日々麟翁寺に参禅していたので、それに因んで搦手門が移されたのだろうとのこと。




麟翁寺には太兵衛の晩年の肖像画もあり、太兵衛の命日の法要のときにだけ公開される。
通常、肖像画は生前に描かれることはないので(ご住職は亡くなる直前に描かれたのではないかとおっしゃっていたが)、この肖像画がもっともリアルな太兵衛像ではないかと考えられる。
よく太兵衛の肖像として使われる「黒田二十四騎図」に描かれたものは、向きを変えるためにこの肖像画を左右反転させて写したのではないかとのこと。
肖像画に描かれた顔は武骨なイメージとは違って優しげな表情で、「『軍師官兵衛』で太兵衛を演じた速水もこみちさんみたいに、大柄だけど色白でイケメンだったんだと思います」ととおっしゃっていた。
なお、益富城の大手門は嘉麻市上西郷の善照寺の境内に移築されているが、こちらにどういう所縁があるのかは不明。

益富城址
嘉麻市中益

麟翁寺
嘉麻市大隈町1023

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