5月の初め、ノラの親子猫の事をお話しましたが・・・・・
あの記事で、もしかして、憂慮された方がいてくださったなら、本日、最終のお話をさせていただきます。
5月、我が家に子猫2匹を連れて来たノラのお母さんは、いつも立派に子育てをしていたのですが、子猫たちは、日々大きく成長し、おしっこ、うんこは我が家のベランダの植木蜂、砂利にしたため、もう大変!!
そこで・・天国に居る元飼い猫の容器があったので、そこに猫用砂を飼ってきてさせました。
しかし・・・このままでいいの?、どんどん大きくなって又ノラに帰るを待つの?
我が家の手すりをジャンプして、ノラに帰るのを待つの?それは何時?
・・・。
日々悶々で、ネットで調べたり、ノラを収容している所でどうすればよいのか、相談したりで、結論は・・・母ネコと離し、里親が見つかるまで、我が家で2匹を預かる・・でした。
そんな時、京都で犬猫の不妊、去勢手術をボランティアで、良心的な料金でされている「ぜろの会」を知り、5月末、親猫を捕獲し、マンションの方々のカンパもあり、不妊手術を受けさせ、母ネコはノラに帰しました。
同時に子猫もワクチンを打ってもらい、借りたケイジに2匹を入れ、以来、私の寝室での子育て(猫育て)が開始しました。
のらの子猫も一ヶ月位になると、自己防衛の為、威嚇するとかで、預かった2匹も
例に漏れず、威嚇。
「ぜろの会」の方曰く・・・「こんなに威嚇しているなら、里親にも出せないので、まずは抱き上げ、自分の胸に子猫の胸をあて、背中を優しくなでてあげる事、そうすれば、1週間くらいで優しい子になれる」・・・・
その言葉を信じ、武装し、ケイジの中の子猫の首をつかみ、愛情を注ぎ、撫で~~。
本当にそうでした。
一週間で、ごろごろ~~喉を鳴らす、可愛い~~子に2匹共大変身!!
爪とぎを覚えさせ、食事の後は2匹をケイジの外に出し、1時間程遊ばせ、満足したところで又ケイジへ。
ケイジから出ると、待ってたかの様に、2匹はじゃれあったり、追いかけっこをしたり、ベットからジャンプしたり、タンスに乗ったり、真さに私の部屋は2匹のオチビの運動場でした。
夜はよく寝るように、オモチャで遊ばせたりもしました。
ケイジの中も狭く感じるほど、日々健やかに成長する2匹。
でも、マンション住まい、ペットは1匹しか飼えず、苦渋の選択で1匹を里親にだしました。
5月16日、車で里親さん宅へ行く時も涙、涙で・・悲しい別れでした。
我が家に残されたのは、お茶目で寂しがり屋さん。
そして、よく鳴き、暴れ、私の腰までジャンプしたり、まるでおサルを飼っているみたいな元気な子でした。
よく鳴くのは、元々2匹で大きくなったので、一人になり、寂しかったのでしょう。
寂しそうな声、何か訴えるような声に、今度は私の心身が疲労。
色々な思いが私の心の中を交差し、遂には私の本当の心がわからなくなり、辛くなり、日常生活までおかしくなり・・・・・結局、26日、悲しい別れの道を選びました。
ご縁があったのか、茶子(チャコ)と呼んでいた子は、最初に貰われて行った子猫の、里親の娘さんが、新しい里親になってくださり、昼間は最初の子と会えるそうなのです。
引き渡す日の夕方、私が一人ベランダの椅子に腰を掛けていると、ぴょんと私の膝に乗ってきて、長い間ひっついていました。
「チャコちゃん、幸せになってね」・・・といいながら、撫でてあげました。
きっと、別れを知っていたのかも知れません。
苦しい決断をしましたが、この決断も何か大きな流れに任されていたのかも知れません。
子猫を育てたのは私は初めてで、それも、おまけに2匹。
お母さん猫におっぱいを貰ったり、お母さん猫の尻尾にじゃれたり、ケイジの中では、朝のご飯が待ちきれなくて、2匹がにゃん~~と合唱したり、2匹が引っ付きながら、可愛い顔して寝ていたりと・・・・可愛い姿、楽しい思い出を一杯くれた2匹です。
別れのつらさは今だ残りますが、里親さんのお宅で、2匹が再会し、再び楽しい時を過ごしてくれる事をひたすら願っています。
長い~~~「子猫物語」、最後まで、読んでいただきありがとうございました。
このブログを通して、心配をかけた皆さん、東京の友人にもお礼を申し上げます。
あの記事で、もしかして、憂慮された方がいてくださったなら、本日、最終のお話をさせていただきます。
5月、我が家に子猫2匹を連れて来たノラのお母さんは、いつも立派に子育てをしていたのですが、子猫たちは、日々大きく成長し、おしっこ、うんこは我が家のベランダの植木蜂、砂利にしたため、もう大変!!
そこで・・天国に居る元飼い猫の容器があったので、そこに猫用砂を飼ってきてさせました。
しかし・・・このままでいいの?、どんどん大きくなって又ノラに帰るを待つの?
我が家の手すりをジャンプして、ノラに帰るのを待つの?それは何時?
・・・。
日々悶々で、ネットで調べたり、ノラを収容している所でどうすればよいのか、相談したりで、結論は・・・母ネコと離し、里親が見つかるまで、我が家で2匹を預かる・・でした。
そんな時、京都で犬猫の不妊、去勢手術をボランティアで、良心的な料金でされている「ぜろの会」を知り、5月末、親猫を捕獲し、マンションの方々のカンパもあり、不妊手術を受けさせ、母ネコはノラに帰しました。
同時に子猫もワクチンを打ってもらい、借りたケイジに2匹を入れ、以来、私の寝室での子育て(猫育て)が開始しました。
のらの子猫も一ヶ月位になると、自己防衛の為、威嚇するとかで、預かった2匹も
例に漏れず、威嚇。
「ぜろの会」の方曰く・・・「こんなに威嚇しているなら、里親にも出せないので、まずは抱き上げ、自分の胸に子猫の胸をあて、背中を優しくなでてあげる事、そうすれば、1週間くらいで優しい子になれる」・・・・
その言葉を信じ、武装し、ケイジの中の子猫の首をつかみ、愛情を注ぎ、撫で~~。
本当にそうでした。
一週間で、ごろごろ~~喉を鳴らす、可愛い~~子に2匹共大変身!!
爪とぎを覚えさせ、食事の後は2匹をケイジの外に出し、1時間程遊ばせ、満足したところで又ケイジへ。
ケイジから出ると、待ってたかの様に、2匹はじゃれあったり、追いかけっこをしたり、ベットからジャンプしたり、タンスに乗ったり、真さに私の部屋は2匹のオチビの運動場でした。
夜はよく寝るように、オモチャで遊ばせたりもしました。
ケイジの中も狭く感じるほど、日々健やかに成長する2匹。
でも、マンション住まい、ペットは1匹しか飼えず、苦渋の選択で1匹を里親にだしました。
5月16日、車で里親さん宅へ行く時も涙、涙で・・悲しい別れでした。
我が家に残されたのは、お茶目で寂しがり屋さん。
そして、よく鳴き、暴れ、私の腰までジャンプしたり、まるでおサルを飼っているみたいな元気な子でした。
よく鳴くのは、元々2匹で大きくなったので、一人になり、寂しかったのでしょう。
寂しそうな声、何か訴えるような声に、今度は私の心身が疲労。
色々な思いが私の心の中を交差し、遂には私の本当の心がわからなくなり、辛くなり、日常生活までおかしくなり・・・・・結局、26日、悲しい別れの道を選びました。
ご縁があったのか、茶子(チャコ)と呼んでいた子は、最初に貰われて行った子猫の、里親の娘さんが、新しい里親になってくださり、昼間は最初の子と会えるそうなのです。
引き渡す日の夕方、私が一人ベランダの椅子に腰を掛けていると、ぴょんと私の膝に乗ってきて、長い間ひっついていました。
「チャコちゃん、幸せになってね」・・・といいながら、撫でてあげました。
きっと、別れを知っていたのかも知れません。
苦しい決断をしましたが、この決断も何か大きな流れに任されていたのかも知れません。
子猫を育てたのは私は初めてで、それも、おまけに2匹。
お母さん猫におっぱいを貰ったり、お母さん猫の尻尾にじゃれたり、ケイジの中では、朝のご飯が待ちきれなくて、2匹がにゃん~~と合唱したり、2匹が引っ付きながら、可愛い顔して寝ていたりと・・・・可愛い姿、楽しい思い出を一杯くれた2匹です。
別れのつらさは今だ残りますが、里親さんのお宅で、2匹が再会し、再び楽しい時を過ごしてくれる事をひたすら願っています。
長い~~~「子猫物語」、最後まで、読んでいただきありがとうございました。
このブログを通して、心配をかけた皆さん、東京の友人にもお礼を申し上げます。
家島からブログの更新がされてなくって・・・
でも、でも安心しました。
電話でもしてみようかなあなんて思ったりして・・
毎日、ブログも拝見してるからね。
そういえば幼少の頃、家で飼ってた三毛猫を思い出しますね。私は怖かった(笑)
田舎の山田は今年、蛍の乱舞でしたよ。
蛍箒を作ってもらっつたこと思い出しますね~
是非3人でお会いしましょう!!