S.E裏千家茶道教室 お茶のひと時

つれづれなるままにパソコンに向かいて
心にうつりゆく茶道教室の話題を書きつくれば。。。。

peranakan(プラナカン)

2019-02-10 12:04:15 | 紅茶、茶道&マナ-のお話

プラナカンには興味があり、以前来星の折には、抹茶茶碗用に一つ買い、その茶碗でお茶を楽しんでいる。

只、中国人の男性とマレ-の女性が結婚してできた文化がプラナカンと思っていた位で、はっきりとは知らないプラナカンで、

この度は、折角だからと”プラナカン博物館”に出向いた。

博物館での簡単な説明は・・・・

プラナカンの意味は、誰々の子供、誰々の子孫という意味のマレ-語であり、遠い昔、多くの人がインド、中国より新天地を求め、東南アジアにやって来た。

Jawl Peranakanはインドのmusiime(モスリム)の子孫、Chitty Melaka協会はヒンズ-の貿易者の子孫、baba協会は中国からの子孫で、

そしてこれらの人々は、Java,スマトラ、マレ-諸島に貿易の中心を作った。

広い意味でのbabaは、華僑ペラナカン、狭い意味で、プラナカン男子のコミュニティ。因みに女性はnonya(ノンヤ)と呼ばれた。

マラッカのbabaコミュニティは、17世紀にはポルトガル、後、オランダの支配のもとの置かれる。

イギリスは19世紀には、Penang(ペナン)、シンガポ-ルを植民地とする。

後、イギリスはマラッカにあるbabaのコミュニティをシンガポ-ルに呼び寄せ、マラッカ、ペナン、シンガポ-ルと海峡華僑の大きなコミュニティーが作り上げられた。

その協会はStraits Chinese(海峡華僑),Straits-born Chinese(海峡生まれ華僑)と二分されている。

因みに、シンガポ-ルの創立者リ-クワンユ-の祖父も福建ペラナカンとの事。

この事も始めた知った。

プラナカンの人々は、貿易で豊かな暮らしをしていたといわれ、博物館の展示品の家具、衣類、調度品もその豊かな生活をにおわせる。

写真は展示品の一部。

 

                                (ビ-ズ刺繍のスリッパ)

 

        (結婚式の服装)


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (H・S)
2019-02-27 09:23:25
アジアの文化が混じり合って こんなに可愛い雑貨や衣装が生まれたんですね。

とても魅了されます🍀
返信する
コメントありがとう! (surrey's tea room)
2019-03-02 20:09:13
他国の文化には特別に興味がわきますね。
返信する

コメントを投稿