プラナカンには興味があり、以前来星の折には、抹茶茶碗用に一つ買い、その茶碗でお茶を楽しんでいる。
只、中国人の男性とマレ-の女性が結婚してできた文化がプラナカンと思っていた位で、はっきりとは知らないプラナカンで、
この度は、折角だからと”プラナカン博物館”に出向いた。
博物館での簡単な説明は・・・・
プラナカンの意味は、誰々の子供、誰々の子孫という意味のマレ-語であり、遠い昔、多くの人がインド、中国より新天地を求め、東南アジアにやって来た。
Jawl Peranakanはインドのmusiime(モスリム)の子孫、Chitty Melaka協会はヒンズ-の貿易者の子孫、baba協会は中国からの子孫で、
そしてこれらの人々は、Java,スマトラ、マレ-諸島に貿易の中心を作った。
広い意味でのbabaは、華僑ペラナカン、狭い意味で、プラナカン男子のコミュニティ。因みに女性はnonya(ノンヤ)と呼ばれた。
マラッカのbabaコミュニティは、17世紀にはポルトガル、後、オランダの支配のもとの置かれる。
イギリスは19世紀には、Penang(ペナン)、シンガポ-ルを植民地とする。
後、イギリスはマラッカにあるbabaのコミュニティをシンガポ-ルに呼び寄せ、マラッカ、ペナン、シンガポ-ルと海峡華僑の大きなコミュニティーが作り上げられた。
その協会はStraits Chinese(海峡華僑),Straits-born Chinese(海峡生まれ華僑)と二分されている。
因みに、シンガポ-ルの創立者リ-クワンユ-の祖父も福建ペラナカンとの事。
この事も始めた知った。
プラナカンの人々は、貿易で豊かな暮らしをしていたといわれ、博物館の展示品の家具、衣類、調度品もその豊かな生活をにおわせる。
写真は展示品の一部。
(ビ-ズ刺繍のスリッパ)
(結婚式の服装)
とても魅了されます🍀