障がいのある子どもと大人の支援 ~分かり合えると問題解決の道が見えてくる~

このブログは、障害児・者の心を大切にした対人援助技術「心のケア」を学び実践しているメンバーが集まり投稿しています。

伝わるとうれしい!

2022-08-25 20:06:20 | 日記

おひさしぶりです。

まきこっこです。

 

みなさまのところにもコロナさんは襲撃していますか?

私の勤める法人では、本当に振り回されて、毎日が変更に次ぐ変更で、緊張状態が続いています。

ちょっと不謹慎ですが、インフルエンザくらいの扱いになってくれないかなーと心底思っています。罹患した支援員さんは、自分の体調より周りにかける迷惑のことばかり気になって。。。ゆっくり休めたもんじゃないし、復帰できた時には周りに謝罪して回る。。。病人がこんなに追い詰められる例って他にないですよね。そりゃインフルエンザだって迷惑かけるけど、その影響力は比じゃない。。。。。個人的な意見です。申し訳ありません。

 

伝わるとうれしい!はその話じゃなくて。

前回のブログに書かせていただいた20歳の女性の話です。この方はうちの事業所では結構支援が大変な方なので、きっと度々報告したくなると思うので、Mさんとしておきます。

Mさんは体格がいいこともあり、突進し始めるとなかなか職員一人では止められません。以前玄関から走り出し、近隣の方の畑を荒らしてしまった経歴もあり、玄関から出るとすぐに職員数人で抑え込み、ビニールシートにくるまれて施設内に戻されるといったことが続いていました。その間の抵抗は激しく、力強い男性職員も負傷を負ったことがあります。

一年以上時間をかけて、彼女の気持ちを代弁し、彼女の気持ちを職員さんたちに理解してもらおうと努めました。

前回のブログにも書きましたが、彼女は好きな職員に執着する傾向があったのですが、少しづついろんな職員とかかわりが持てるようになり、落ち着いている時は職員2名と施設の周りを歩けるようになりました。最近では私と二人なら、施設の周りだけでなく、遠方にも散歩できるようになってきて、職員さんたちのMさんへの見方も少しづつ変わり初めました。私たちを困らせるために外へ飛び出していたと思われていたのですが「本当に外を歩くのが好きなんだね」「いい笑顔が見られるね」「私も一緒に歩いてみたい」と。

ですが、彼女の行動はひやひやするものが多く、職員はすぐ制止にかかってしまいがちで、制止されるとMさんのなかのへそ曲がりが発動してさらに過激な行動にでる、といったことが起こるので、Mさんの気持ちを汲みつつ、こちらも譲ったり、待ったり、といった関りが必要です。Mさんはわざと危ないことをしたい訳じゃなく、純粋に散策を楽しみたいんだ、という信頼を真ん中に据えて、こちらも一緒に楽しんで歩き、必要な時には「それは危険だと思うよ」と促し、見守ります。本当にひやひやする場面ですが、葛藤の末引き返してくれることがほとんどです。私となら、という条件付きで、Mさんとの散歩が2週間ほど続いた後、うれしいことが起こりました。

Mさんが好きな職員の中の若い女性の支援員さんが、朝の送迎後、Mさんが車から降りた後施設に入らず散歩したそうだったということで、ふたりで楽しく散歩してこれたというのです。その支援員さんは何度かMさんと外に行きましたが、玄関を出たところで座り込まれて動かなくなってしまったり、行ってはいけない方へ向かうMさんを制止できずに他の職員の助けを呼ぶということが続いていたのですが、その日は問題なく散歩し、施設まで戻ってくることができました。

帰ってきた彼女が、興奮気味に私に報告をしてくれました。「まきこっこさんの言ってたことがやっと分かりました!ちゃんとやり取りになるとこっちのいうことも聞いてくれるんですね!研修のおかげです!」

なんて嬉しいんだろうと思いました。

そして、彼女が落ち着いてMさんとやり取りをしている様子を一日の中で何度も目の当たりするようになった他の職員さんたちも、少しずつ対応に変化がみられるようになりました。どういう状況になるとMさんのおへそが曲がってしまうのか、わかりやすくなってきたのだと思います。

 

本当にうれしく、今後さらに期待できそうです。

明日も研修が予定されていますので、頑張ろうと思います!


ちゃんと聴いているんだ!

2022-07-01 21:14:58 | 自閉症児の子育て

 ハンガウトです。私が独立開業後、初めて個別相談に取り組んだ子で、3歳から30歳頃までおつき合いした自閉症男子。彼には、「自閉症ってこういうものか」ということを、たくさん教えてもらったのですが、その一つを紹介します。

 ご多聞にもれず、幼児期はパニックも頻発、いろいろなこだわりもありましたが、初対面のときから、「自閉症のくせに、妙に人なつっこいな」という印象でした。喋ろうとはするのですが、発音器官に何も問題はないのに、なぜかすべての音が母音化してしまい、こんにちはと言えば「オンイイア」、おまんじゅうを食べたいときは「オアンウウ」といった具合。だから、慣れた人で前後の文脈が解っている場合は理解できますが、ふつうは通じません。しかも一度でも「え?」と聞き返せば、もう絶対に喋ろうとしません。

 そんな彼でしたが、ご両親の教育方針で、小・中学校とも支援級で過ごし、高校は夜間高校へ通いました。おかげで、昼間働いている大人たちに囲まれて、とても楽しく過ごし、卒業後には結婚式にも招待されました。そのくらい周囲の受け入れが良かったわけですが、彼自身に可愛がられる素質があったとも言えるでしょう。
 
 小学校最初の数年間は、まだパニックもあったので、授業中校内をウロウロ歩き回るのも放任。そこで「授業中は、たとえつまらなくても、着席していることが、最低限のルールだ」と徹底的に教え込み、高学年の頃には、一応着席しているようになりました。とはいっても、自分の好きなことをしているだけですが…。

  もともと英語が好きなのか、中学になってから、リングに綴じた単語カードを2冊は憶えました。たとえば、「本は英語で言うと?」→「ウッウ」(Book)、「じゃあ、リンゴは?」→「アッウウ」(Apple)と応えます。ところがその逆、「Bookは、日本語で言うと?」は、応えられません。

 実は、自閉症児者が一般的に、母国語よりも第2外国語のほうが得意だというのを、ご存じですか? これは、全世界共通です。たとえば英語圏の子なら、英語よりフランス語やドイツ語のほうが得意なのです。おそらく、母国語は自分が不得意だと承知しているので、外国語のほうが気ラクなのだろうと私は考えていますが、真相は解りません。

 

  中学に進学してしばらく経った頃です。せっかく好きな英語の授業があるけれど、はたして授業を聴いているのだろうかと疑った私は、ある日、会った途端に、「What's your name?」と言いました。もちろん半分冗談のつもりだったのですが、彼は「アオエーウ〇〇」(○○は自分の名前)と、言ったのです。私には「マヨネーズ〇〇」と聞こえました。おそらく彼の耳には、My name is  が、マヨネーズに聞こえていたのでしょう。しかもちゃんと、自分の名前を文末につけて応えたのです。
  
 もう、ビックリでした! ちゃんと聞いて、内容を理解しているんだということを、思い知らされました。ちょっと見には授業など参加していないようですが、きちんと聴いて、解っていたのです。                                      

 もちろん、客観的事実として、彼がそう言ったのかどうかは証明できません。けれども、私はそう信じているし、会話とは所詮そんなものだと思っています。発した言葉が事実かどうかは、あまり関係無いのです。
 たとえば、私が友人に何か頼み事をしたとき、相手が「いいよ」と返事してくれたとします。そのとき、必ず言葉通りに解釈するでしょうか? 相手の表情、態度、雰囲気などで、「口ではそう言ってるけど、ほんとはイヤなんだな」と、察するかもしれません。それは諸々の状況によって違うはず。
 言語の専門家によると、私たち一般のおとなでも、会話において言語の果たす役割は、30%にも満たないのだそうです。実際のところ私たち人間って、言葉以外の部分でコミュニケーションが成り立っているのですね。だから、自閉症の人たちともちゃんと気持ちが分かり合えると信じて、おつきあいしています。


泣けなくても、パニック軽減

2022-06-16 16:47:50 | 自閉症児の子育て

 ハンガウトです。『泣ければらくちん』で、幼い子どもなら、泣いて気持ちがラクになりパニックも起こさなくなるけれど、年長になると泣けないと書きました。じゃあ、年長になったらどうするのよ、ということになりますね。そこで、少々長くなりますが、パニックへの対応について、おつき合いください。

 

 大丈夫、パニックを起こす構造は同じ、本人なりに様々な思いが伝わらずガマンを重ねた結果、どうしようもなく爆発するので、そのとき体で表現している気持ちを受け止めれば、たとえ泣けなくても、自分の感情表出をコントロールできるようになります。これまでおつき合いのあった親子が、どんな工夫をしてきたのか、いくつかご紹介しますね。

                

                    どうすればいいの?


〇 Bくん、特別支援学校高等部の1年生。
 体格がよいので、攻撃するつもりはなくても、パニックのときたまたまぶつかっただけで、おばあちゃんは吹っ飛んでしまいます。何につけても「自分はダメなヤツ」ということをつきつけられ、パニックが頻発しているのだと解ったお母さんが、考え出したのは布団むし。
 タオルケットで試したけれど、1回でビリビリに。そこで、もめん綿の布団にして、くるんだ上から抱きとめるのだとか。おそらく現実には、抱くというより、馬乗り状態でしょうが…。
 最初は、既に暴れている大柄な子をくるむこと自体で悪戦苦闘、でも2回目からは自分で布団を出してきて、お母さんがくるむまでの間、手加減して暴れてくれていたそうです。このように手加減してくれることって、意外に多いんですよ。私も何度も経験しましたが、本人がそれだけ、行動統制できているってことかな。パニックは2,3ヶ月で無くなりましたが、布団は3枚廃棄処分、だそうです。


〇 Cちゃん、支援学級小学5年生の女子。
 少しだけ単語で会話可能な、ふだんは指示に従いやすい子なのですが、パニックになると、誰かれ構わず噛みつきます。お母さんだけでなく、学校の先生や友だちも被害甚大。そのときの気持ちまではいちいち解りませんが、噛みつく度に「また、やっちゃった」と自己否定感を募らせていることだけは、お母さんも納得。そこで何とか行動統制させようと、家では、厚手のタオルを常にお母さんが持ち歩き、本人が噛みつこうとしたときに、素早くそのタオルを口にあてがう、という方策で乗り切りました。そのうち、本人にタオルを持たせるようにして、噛みつきたくなったらタオルを噛むことを憶えてもらいました。徐々に、パニックは起こさなくなりました。


〇 Dくん、支援学級中学2年生。                 
 お母さんが「パニックになるくらい、気持ちを出してくれれば…」と言うほど、まったく意思表示せず何もかも受け身の自閉症。質問すれば一応ボソリと応えますが、本音なのかは怪しい、自分から何かを要求することはありません。中学生になってようやく、自分の思いと違うときに、お母さんに向かって唸るようになりました。あるとき、たまたま学校の脇を通りがかったおばあちゃんが見かけた光景。
 授業中なのに急に校庭に飛び出してきたDくんが、1本の大きな桜の木に向かって、大声で「わぁーっ!」と叫んでいたそうです。何度か叫び声をあげると、迎えに来た先生と一緒におとなしく教室に戻って行ったとのこと。「ウチの子が、ちゃんと感情表現したなんて、しかも誰にも迷惑かけずに…」と、お母さんは大喜び。
 パニックではありませんが、年齢に相応しい感情表出の仕方を身につけるのは、表現が乏しい子にも共通して大事ですね。

 ついでに余談、若い頃にアイディア商品の店でみつけた、ストレス解消グッズ。ひとつは<叫びの壺>とかいう名称で、壺の口に向かってモヤモヤを吐き出す、もう一つはシリコンでできたグッズで、ムギュウっとひねり潰すと、いくらでも変形するという代物。私たちおとなにも、必要ってこと。

 

〇 Eくん、特別支援学校の小学部4年生。
 単語を言うこともありますが、会話は成立しません。パニックになると、転げ回って壁やドアを蹴りまくります。そこで考えた方策が、ダンボール蹴り。家ではいつもダンボールをたくさん用意しておき、パニックになったら即座にダンンボールを周りに置いて、上半身だけ抱きとめます。なので、足は自由に蹴ることができます。くり返すうちに、Bくんの布団むし同様、本人がこうすればよいと解ったので、ダンボールが置かれるまで待つ、やがては爆発する前に自分でダンボールを蹴りに行く、という行動ができるようになりました。
 ちなみに、ふだんからサンドバッグのような物が使えるなら、体で気持ちをぶつけるようにするのも、多くの子ども(成人でも)に有効です。

 


〇 Fくん、特別支援学校の小学2年生。
 話し言葉はありません。まだ体格は小さいはずなのですが、暴れ方がすさまじくて、大人1人では抱きかかえられません。そこで思いついたのが、和装用に帯の下につけるベルト。マジックテープによる脱着式なので、幅広ですが素早くつけられます。それを子どもの大腿部に巻くと、膝から下は自由にもがけますが、両脚を開くことができないので、お母さん1人でもなんとか暴れる我が子を抱きかかえられます。物や道具を使うと、なんだか虐待するみたいで、あまり声を大に言えないのですが、きっとFくん自身もそのおかげで思い切り気持ちを出せるのでしょう、自分でそのベルトを持ってきて、スタンバイするようになりました。

 


 いかがでしょうか? 自閉症は、なかなか行動修正が難しいと思われていますが、本人が納得すれば、練習を重ねて、新しい行動を身につけられます。ところが多くの場合、おとなは、納得させようと理屈で言いきかせます。けれど正当な理屈をいくら並べられても、感情はそれが許せないということ、私たちにだってあるでしょ!? 理屈ではなく、気持ちの納得が必要なのです。行動だけをとりあげて、ひたすら練習させても、気持ちが納得していなければ、なかなか行動は変わりません。
 身近な人が、「そんなにイヤなことがあったんだね」と認めてやると、まず本人の感情が納得します。そして、これまで本人が意識していなかったことでも、「ああ、そういうことだったんだ」と頭の整理もできます。そうすると、自分なりに気持ちの折り合いがつけられ、「じゃあ、別のやり方でもいいか」と、練習する気になるのだ思います。要するに、いかに「練習してみよう」という気になってもらうか、です。

 どの例を見ても、それぞれの家庭によって工夫されているのが解ります。お母さんが、我が子の気持ちを受け止めて、それだけ真剣に工夫してくれているのですから、その期待に応えたくなるのは、子どもとして当然。だって、そもそも両方が相手を大事にしたいと思っている者同士、お互い大好きな親子なのですから。


大好きを伝えるのって、難しいよね

2022-06-12 22:41:00 | 成人の障害者支援

Yさんは知的障害を持つ青年。

スラっと細身で背が高く、足も長いので、イライラしたことがあると足が出て、ごみ箱や机を蹴飛ばしたり、コップやいすを投げ飛ばしてします。

言葉は話せないのですが、「あ~」という発声はできます。

背が高いのですが、飛ぶようににぴょんぴょん動き、足が長いこともあって、とても素早く行動します。

 

Yさんは、他の利用者さんが騒ぎ出すと、とても気持ちが落ち着かなくなり問題行動を起こしてしまいます。

 

ある日、2階の作業室で活動中、女性利用者のRちゃんが大きな声を出していた後、Yさんはイライラしている様子で、机をけり破損してしまいました。

その場は治まったのですが、午後の活動(ねじ作業)中1階に下りてきて、1階のマジックをばらばらにし、シールをはがすなど気持ちの切り替えが難しそうだったために、3階の廊下に誘導し、心のケアのお話が始まりました。

 

心のケアのお話の時間は、Yさんに横になってもらい、Yさんが気になりそうなこと、心が落ち着かなくなる原因と思う話を語りかけて行きます。その話の中で、Yさんの心を動かした言葉や話の時、体に緊張が走ったり、手や足を動かせしたり、声を出したりというようにして、体を使って、気持ちの動きを表現されます。

 

「いらいらしていたね、何か困ったことあった? 最近本当に頑張ってくれているね。お母さん、お父さん、Rちゃんがなおさないのを注意した」などの語りかけには、表情がよく、特に体の緊張は見られませんでした。

「止められた、だめ」

「机が壊れた」

「こんなことしたいんじゃないんだ」

「本当はもっとお兄さんになりたいんだ」

などの語りかけには、表情は笑っていたり、「あ~あ~」などの声が出ているが、体の緊張がみられ、反応を示したので、反応をしたところでしばらく体を使ったお話を進めていきました。辛い気持ちを慰め、楽しそうな表情の時は一緒に喜ぶなど、気持ちの交流を進めて行きます。

 

すると、力が抜けてきて、とても柔らかい表情になっているので筆談援助をしてみました。

筆談援助というのは、座って一緒に鉛筆をもつYさんの手を握って、Yさんに寄り添いながら2人で一緒に紙に文字を書くことで、自己表現を支援する方法です。

その中で、

「Sさん(職員)が大好き、Sさんを困らせている人がいたら、助けてあげたい」

という内容の話を書いてくれました。

 

どうもYさんは、Sさん(職員)が困っている時に助けてあげたいと望んでいたのに、その結果机を蹴ってしまったり、物を投げたりしてしまっていたようです。

本当は「助けたい」と思っている。

ですが実際は思ったように体が動かず、思いと違う行動をとってしまう…

それはさぞ困るだろうな、と感じました。

そこで、

「体が勝手に動いてしまうときは、しっかり止めていくね」と約束してお話を終わりました。

お話を終わった後のYさんは、満面の笑みを浮かべて、「あ~」っと嬉しそうな声を出していました。


一呼吸おいてみる

2022-06-10 08:44:53 | 日記

こんにちは

まきこっこです。

 

前置きすると長くなっちゃうので、できるだけ簡潔にいこうと思います。

若い女性の利用者さんで、彼女は好きな職員といることを好みます。これまでの人生、うまくいかないことだらけで、相当気持ちがやさぐれており、「どうせ私は何をやっても悪い子なのよ!」と言わんばかりに、気持ちがあふれると、他害したり、物を投げたり壊したり。建物が揺れるかと思うほどの大声で叫んだり。なにせ周りに与える影響が大きいので常に個別対応の職員がついており、それでも好きな職員を探して施設内を歩き回り、見つけると執着して大きな行動に出ることが多いので、職員交代しつつ、複数の職員で見守りつつ、の支援を行ってきました。

 

私は、というと、彼女のまあまあ好きな職員に位置しているようです。放課後等デイサービスの頃一緒に過ごしたこともあり、気を許せる相手ではあるけれど、大好きな職員に会いたい気持ちのが大きいという感じでしょうか。

彼女は午前中に好きな職員を執拗に探して回ることが多く、好きな職員となら自室で過ごすことができますが、他の職員だとそうはいきません。午後は比較的落ち着き、どの職員とも穏やかに過ごせる時間も増えてきています。私は午後の対応は問題なくできますが、午前中となると、自室で落ち着いてもらうことができす、施設内を他利用者や職員を緊張させながら、一緒について歩き回り、好きな職員に遭遇してしまうと、短い時間一緒にいてもらうか、交代するか、その都度彼女の反応を見ながら決めて対応する感じです。もちろん、彼女が歩き回ってる間、彼女の意図を組み、気持ちを察しながら声をかけ、周りの人にも理解してもらえるように努力はしていますが、私の中に「自室で落ち着いて過ごさせてあげられない。私ではだめなんだ」という劣等感ともいえる気持ちが存在していました。

ああ~やっぱり前置き長くなってしまいますね(ノД`)・゜・。

 

その、彼女の午前中の対応に入った時のことです。

案の定、すぐホールへ出て歩き回り、好きな職員に遭遇して、その職員さんに誘導してもらって自室に戻りました。その職員としばし一緒に過ごした後、その職員さんは「他のお仕事があるから、行ってくるね。終わったら来るからここで待っていてね」と言って去っていきました。いつも納得して手を放すことができても、三分ともたずに再び探しに自室を出て行ってしまいます。その日も課題を勧めるとほんの少しやり、その後タブレットの鑑賞を始めましたが、すぐに立ち上がり、好きな職員を探しにホールへ出ました。再び好きな職員さんに誘導され自室へ戻りタブレット鑑賞をはじめ、同じように説得され、その職員さんは持ち場へ戻っていかれました。

私は横に座りながら「どうせすぐ行ってしまうんだろうな」と思いながら、ふと、自分が苦手意識を持って接していることに気が付きました。午前中は私には対応できない、そう自分で決めてかかっているのだな、と。もしかしたら、自分とでも落ち着いて課題をしてくれることもあるかも知れない。そう思い直して一呼吸置き、課題のシール張りを手に取り、彼女が好きそうなシールを選んでは箱に入れる、という選別作業を始めました。その間彼女は振り向きもせずタブレットを見ていました。5分ほどたったころ、彼女がふいに私が持っているシールを手に取り眺めると台紙に貼りました。私は嬉しくなりましたが、特に声掛けはせず、次のシールを手に取ると、それも持っていき台紙に貼りました。その後、箱に入っているシールを順番に台紙に貼っていき、そのまま作業終了時間まで続けることができました。

約束通り、好きな職員さんが作業終了後に現れても、飛びつくこともなく穏やかに迎え入れ、彼女の横のポジションを交代すると、笑顔で私に手を振り、頭を突き出してきました。頭をなでて褒めて欲しい時の彼女のサインです。「作業ちゃんとできて偉かったね。私もうれしかったよ。」と伝えその場を去りました。

 

午前中の対応に入る時、いつも私はうまくいかないことばかり予想して、そわそわしていたのかも知れません。彼女が落ち着いていられそうかどうか、感じることもせず、自分も自分が落ち着いてないことに気が付きもせず。

一呼吸おいて、焦らずにいこうと思ったことで、彼女との間にゆったりした時間が流れているのを感じられました。本当に幸せな気持ちになりました。

今後も結果ばかりを追い求めず、一緒にいる時間を大切にしようと思いました。