障がいのある子どもと大人の支援 ~分かり合えると問題解決の道が見えてくる~

このブログは、障害児・者の心を大切にした対人援助技術「心のケア」を学び実践しているメンバーが集まり投稿しています。

繰り返しも好きだけど、いつも同じではないってこと

2022-06-06 09:01:33 | 日記

こんにちは。まきこっこです。

 

先日、自閉傾向の強い、若い女性で、体も大きく、数々の伝説を残されている方の朝の受け入れ担当になったときのことです。

 

彼女とは「いい時にいい関係」をモットーに、穏やかな時に、あえて一緒に時間を過ごし関係を作ってきました。

あえて、というのは、常に個別担当をつける必要のある方ですが、一人で穏やかにしている時には特に刺激せず、距離を取って見守る、というのがうちの施設では何となく受け継がれているからです。穏やかな彼女の近くにいると、他の職員さんから、何度も「今の時間は離れて他の仕事しても大丈夫よ。」と言われるわけですが、みんなでこうしましょう、と決まっているわけではないので、「仲良くなりたいので一緒にいます。」と宣言して、一緒に歌ったり体を揺らしたり、小さなやり取りを重ねて関係作りをしてきました。

その成果もあって、彼女のこだわりが分かってきました。例えば、赴任当初、彼女は目を合わせると目を狙って突いてくるから合わせちゃダメよ、と言われたのですが、実は職員の目やにや、目の付近のできものを気にして触ってくるのだということ。手を伸ばしてきても、目やにが取れるとそれで落ち着くし、取れないものだとわかるとそれ以上は触ってきません。それがわかってから視線をあわせて微笑み合うということができるようになりました。また、職員の腕まくりが気になり、遠くに歩いている職員でもそれが視界に入ると突然猛ダッシュでそちらに向かいそれを直せと腕をつかむということ。それも、彼女の視線を向けた先に腕まくりをしている職員がいたら、「○○さーん。腕まくり直してー」と声をかけ、直してもらうと立ち上がることはありません。最近では腕まくりをしている職員を見つけると、私の腕を取り、「教えてやって」と言わんばかりにそちらを差し示すようになりました。もちろん失敗もあって、彼女の動作を真似していた時、距離が近すぎたのか、それをしてほしくなかったのか、手を振り払う際にひっかかれたこともありますが。

とにかく、他にもいろいろと彼女のこだわりが分かってくると、突然の動き出しが不穏によるものではないことがわかり、不必要に警戒することがなくなっていきました。

 

ああ、前置きが長くなりました。

そして先日私が気が付いたことです。

 

朝の受け入れ後、最近はタブレットで音楽を聴くのが定番なのですが、タブレットの操作は職員任せです。

最近は特にドラえもんのテーマソングメドレーがお気に入りだと聞いていたので、それの画面を出しそれを渡すと、嬉しそうに聞いていました。2曲目が終わり3曲目に入ると、私の手を取り最初からにするよう要求してきました。最初からにして聞き始めると、やはり3曲目が始まると同じ要求がありました。「3曲目が好きではないのかな。それとも今日はこの2曲を聴きたいのかな」そう思って応じていると、それは何度も繰り返されたので確信となり、3曲目に入ると私の腕を取る、というやり取りが5回以上あったと思います。彼女の横に座りながら他の職員と打ち合わせの会話をしている最中、2曲目が終わったので、私は自然とタブレットに手をやり初めに戻そうとしたのですが、「おや?」と思いました。その手に彼女の手が触れてこないのです。最初に戻さず様子を見ていると、始まった3曲目に聞き入っています。「おや。続きを聴く気になったの?」と聞くと笑顔でこちらに振り向き、機嫌のいい声を出しました。4曲目に入っても私の手を取ることはなく、「すごいねえ。次も聞いちゃうんだ」というと、満面の笑顔で振り向き(どや顔に見えました)さらに機嫌のいい声を出しました。

 

ほんの小さなことですが。

自閉傾向の強い方は、同じことを繰り返されることが多いですよね。そうすると、それが好きなんだから当たり前のようにそれしか要求しないものだと思い込んでしまいがちです。

 

思い込んで最初の2曲ばかり繰り返していたら、この笑顔は見ることができなかったな、とか。

私が気が付かなければ、次の曲を聴いてみようかな、と思っても要求せずにいたんだろうな、とか。

もしかしたら、私と他の職員と会話を聴いていて、その場を離れてもいいように気を使ってくれたのかな、とか。

 

ほんの小さなことですが。

大事なことに気が付けたように感じました。

 


あふれる気持ち

2022-06-05 16:49:57 | 日記

こんばんは

まきこっこです。

 

今日は50代の女性のとのことを書きたいと思います。

彼女は統合失調症と言われていて、厳しい由緒正しいお家で厳しく育てられ、なんでもできる方です。

ただ、日ごろから「正しい」と思われてる方へ、自分をもっていかなくてはいけないという健気な信念から、本当の自分の気持ちをまっすぐ表現できないでいるところがあります。自分の中に男の子と女の子がいて、我慢できなくなって暴れたり暴言を吐いたり他害したりするときは、男の子がやれっていうんだといいます。

そんな彼女は、某男性アイドルがとても好きで、その写真をときめいて眺めている時が一番幸せなようです。彼女の担当支援員が、彼女が日ごろ頑張る支えになれば、と、週末に好きな男性アイドルの写真をラミネート加工して渡していました。彼女もそれを楽しみに一週間頑張ることができ、とてもうまくいっていたのですが、いつからその写真を自分で選ぶようになってきて、そうすると、自分のイメージする写真に出会えないことで不穏になることが度々出始めました。他の支援員からも、その話題を多く話しかけられることが煩わしく感じる時もあるようですし、自分だけ特別扱いされているようだということにも罪悪感というか劣等感というか、そういうものも感じていたようにも感じました。

そんな不穏状態が長く続いた先週末、通院の折に担当医師から、毎週の写真をやめた方がいいという強めの提案を受けました。担当支援員も、彼女の支援を男性アイドルに頼りすぎていたと感じ、今週末の写真の提供をやめてみることにしました。その話を聴いた彼女は、医師からも、親からも、うちの施設のナースからも、そして担当支援員からも説得を受け、その時は納得して応じたようです。

今週、いつもならタブレットで写真を選ぶ時間も、他の作業や活動に切り替え、時々は「やっぱり○○(男性アイドルの写真)に会いたい」と言って泣くこともありましたが、大きく不穏になることなく週末まで過ごしました。

そして最後の日、送迎の前。いつもなら写真を受け取る時間になると、写真がもらえないことに大声で泣きだし、暴れ始めました。職員がかわるがわる制止しながらなだめ、何とか送迎の車に乗車しました。

私はその車の添乗員で、後部座席に彼女ともう一人の男性。真ん中の座席には私を挟んで両側に強度行動障害の車内で暴れる危険性のあ方々が乗車していました。

出発ししばらくすると、彼女は泣き始め「やっぱり会いたい。みんなどうかしてる。わかってない」というと、シートベルトを外し立ち上がり、前の座席に座っていた女性の髪をつかんで引っ張りました。顔には笑みが浮かんでおり、どうやら男の子が出現したようです。その手を放すようにすると、今度は私の髪を両手でつかみました。つかまれたまま、座席を乗り越えて後部座席へ移動し、髪から手を外し、彼女の両手を保持しました。「そうだよね。こんなに大好きなのに、簡単に諦められないよね」「いつも頑張っていっぱいがまんしているのにね。頭ではわかっても、気持ちがついていかないことってあるよ。ちくしょーって怒ってもいいんだよ」私の手を振り払い、隣の男性に手を出そうとしたりする彼女に体で付き合い、そんなことを必死で語りかけました。

「大事な気持ちだから、いっぱい言っていいんだよ。でも、他の人を傷つけてはいけないし、私も痛いのは嫌なの。私のお腹ならいくら押しても大丈夫だから、こうやってちくしょーって、遠慮なく押して。」そう言いながら彼女の正面に立ち、両手を握ったまま、私のお腹に両手を押し付けました。彼女はわかったと言わんばかりに「えいっ、えいっ」と数回押し、その後すぐ力が弱まり、しくしくと泣き始めました。私は横に座り背中に手をあてて、しばらく無言で彼女の気持ちに寄り添いました。彼女がポツリと「頭の中の男の子がやっちゃえって言ったんです。」と言ったので、「そうなんだね。あなたの気持ちを応援しに出てきてくれたんだね。怒るのも大切なことだものね。あなたの中の女の子はいつも、そんなことはダメっていって我慢するんでしょ。本当は怒ったっていいんだよ。ただ、他の人に痛い思いをさせてしまうのはよくないからね。」と、そんなことは百も承知だろうと思いながら話しました。「次は誰も痛い思いをしないような怒り方を一緒に考えましょうね。」そういうと彼女は黙ってうなずきました。

いつもは真ん中の席に座っている女性に髪を掴まれることが多いので、「今日はあなたが痛い思いをさせちゃったね。いつもされてばっかりだから、今日はこれでおあいこかな。」そういうと、彼女も笑い、前の席の女性も笑いました。

真ん中の席の、いつも不穏になると周りの人に手を出す女性も、職員の隙をみてシートベルトを外し、車内の物を外へ投げようとする彼も、私がその場を離れても、彼女の気持ちが収まるまでおとなしく静かにしていて、事の成り行きを見守ってくれるかのようでした。こういう時、本当にみなさんすごいなあと思わずにはいられません。

 

お家に着くと、いつもと変わらない表情ですんなり降りていかれ、お家の方が「園の方からお電話いただいて、話はうかがっています。本当に申し訳ありませんでした。車内は大丈夫でしたか?」と心配そうに尋ねられたので、「車内でも少し泣いて、落ち着かない様子も見られました。でも、ご本人が本当に葛藤して頑張っていらっしゃるので、気持ちが前を向くまで見守って応援してあげて下さい。」と伝えました。

 

どうなっていくのかな。職員間では他の支援も継続しつつ写真を再開した方がいいのではという意見も出されてきています。どっちにしろ、彼女の気持ちを大切に、関わっていくきっかけになりそうです。


相手の事情とこちらの事情

2022-06-02 20:44:01 | 日記

こんばんは

まきこっこです。

 

私は現在成人のデイサービスで働いているのですが、六年前は放課後等デイサービスで勤務していました。

そのころ、小学5年生で利用していた自閉傾向の大変強い男の子が、高校2年生になり、卒業後のための現場実習ということで

うちの事業所に一週間くることになりました。

久しぶりの対面に私はドキドキわくわく。

おおきくなっただろうな。どんなふうに成長したかな。

あの時パニックに何度も付き合い、傷だらけになりながら少しずつ信頼関係をつくっていって。

落ち着いていられるときには、かわいい笑顔をみせて私の膝の上に座りに来たりして。

そんな思い出を思い出しながら彼のいる部屋へと向かいました。

引率で来ている担任の先生が「今日は調子悪いようなので」と言いながら、部屋の隅でお気に入りのスプーンを持ち、床を叩く行動を繰り返している彼を、距離をとって見守っていました。

身長は倍になったのではないかと思われれるほど大きくなってましたが

昔の面影はそのままで、私は嬉しくなってしまいました。

彼に近づき、

「おはようございます。お久しぶりですね。私のことわかりますか?」

と声をかけると、昔と変わらず片手をあげてタッチしてくれました。

感激して、私は舞い上がってしまったのかも知れません。

その後、体温が高かったということで、2度目の検温をお願いすると

嫌がりながらも応じてくれ、待つことができたのですが、動いたためエラー表示が出てしまいました。

「ごめんよ。もう一回だけ計らせて」

と脇に体温計を差し込もうとすると

突然手を伸ばして私の顔をひっかきました。

マスクを引きちぎるとそれでも収まらずつかみかかってきました。

先生が彼を抑え、私に距離を取るように合図し、しばらく落ち着くまで格闘していました。

体が大きくなった彼のパニックは、私が加勢することをためらわれるものでした。

彼の不調を招く行動をしてしまい、結果なんの役にも立てず、私自身も軽いパニック状態だったのかもしれません。

顔の傷を洗い、薬をもらって塗りながら、猛列に反省しました。

先生は今日は調子悪いと言っていた。彼は昔から検温は嫌いだった。

いつもと違う場所で緊張していないわけはないのに。

私のうれしい気持ちばかり優先して、彼の心情をすこしも察しようとしなかった自分がとても情けなくて。。。。

申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

過去に彼と面識があるということで、いい気になっていた自分を反省し

明日は今の彼と、その時の彼の気持ちや動きをきちんと見て、付き合おうと思いました。


泣ければ、らくちん!

2022-06-01 16:42:56 | 自閉症児の子育て

 

 ハンガウトです。もう15年以上前の体験なのですが、多くに共通すると思うので、披露させて戴きます。

                       
 自閉症のAくん、特別支援学校に通う中学1年生、話し言葉はありません。就学前にご両親が離婚し、週のうち4日は施設で、3日はお父さんと自宅で過ごすという生活をしています。パニックが頻繁で、お父さんは何とか暴れる彼を抑えられるそうですが、体格が大きいため、学校でも施設でも手こずっているとのこと。

 ちなみに、お父さんもスラリと背が高いので、それを受け継いだのか、当時身長が180センチくらいありました。とはいえまだ大人の体型ではないので、お父さんよりも肉付きがよく、とにかくデッカイ子という印象です。

 初めて心のケアの相談に訪れた日、Aくんは緊張しているようでしたが、身体のつき合いに誘うと、とりあえず応じてくれました。

 パニックというのは、ガマンが足りないために起こすと思われがちですが、実は本人にしてみると、それまで解って欲しい想いが伝えきれずガマンを重ねてきた結果、もうどうにもならなくなって爆発するのです。このブログ記事「心のケアとの出会い」にも、我が子がそうだったと書かれていますね。幼児期なら、その想いを体で受け止めてやって、言いたい放題言わせてやる(=言葉で言えないので、体で表現させる)と、暴れる代わりに泣くという形でそのつらさを出すようになり、やがて落ち着きます。ところが、年齢があがると、ガマンのフタも泣くことへのフタも両方が強固になっているので、たとえ言い分を解って貰えたとしても、幼児のようには泣けません。また大きな子が暴れると周囲への被害も大きく、その結果、「また、やらかした」と、本人の自己否定感はますま強くなってしまいます。そこで、年長になればなるほど、いっぺんに表現させず、なるべく小出しにするように心がけます。

 

 そこで、Aくんとも慎重に体のやりとりをしていきました。お父さんは「小さい頃に母親との接触が無くなったので、愛情不足だと思います」と話されますが、話を聴いていると、お父さんの子育ての腕はなかなかのもの。そんな話を聞きながらなんとか体のやりとりに応じていたAくんでしたが、そろそろ終わりにしようかという頃、とうとう爆発しました。お父さんと2人がかりとはいえ、大人はたちまち息があがってしまいます。こちらの体力がいつまで持つかなと不安を感じながら、私も初対面で事情がよく解らないまま、とにかく「淋しい想いを一杯したのでしょうに、よくお父さんと2人でがんばってきたね」と、それだけ伝えるのが精一杯。ところが予想に反して、Aくんはしばらくすると、おいおい泣き出したのです。気がつくと、お父さんも目を潤ませていました。

 以来、「ときどき、おっ来るかなという時があるんですが、こちらが強く止めると泣くようになりました。泣いてくれれば、こんなにラクなことはありませんね。外だとちょっとみっともないですが、暴れるよりマシ。学校でも泣いたらしいです」とのこと。

 周りの大人もさることながら、何よりもAくん自身がラクになったのでしょう。半年後には、めったにパニックを起こさなくなりました。Aくんはたまたま泣きやすくなりましたが、ふつうは年長になると泣けません。けれども、私の経験でいうと、できるだけ年齢に相応しいやり方で気持ちを出せるように、日頃から身近なおとながつきあって表現方法を覚えてもらうと、パニックはほとんど起こさなくなります。

 

                 過ぎてみれば、こんな時期なら、まだラクチンだったけど…

     


     

 

 


ただ共にいたら、子どもが自分でクリア

2022-05-26 13:38:56 | 発達が気になる子ども


         

保育所で所長をしている仲間の体験。読んでくださる方に伝わりやすいように、少し書き加えて紹介します。

 
4歳児A君。生まれた直後から、養父母に育てられているが、もともと発達が気になる子で情緒不安定。いつも、自分の想いとは真逆な言動をして、周囲を困らせている。                                                        ※ 自分の想いと真逆な言動をする、というのは、たとえば本当は何か言い分があるのに、それが巧く言えず相手に通じていない状態が続くと、「どうせ解ってくれないんだ、もういいー」とやけくそになってしまうので、本当にしたいこととは裏腹な言動をしてしまう、ことを指しています。簡単にいうと拗ねてしまった状態、そういうことって、私たちにも一つや二つ思い当たりますよね。

 

 その日はジャガイモの種植えの日。担任と他児は既にテラスに出ていたが、A君は手足をバタバタさせながら、わけのわからないことを大声で叫び、大暴れ。A君を抱き寄せると、身をそらせながら、「道路に飛び出して、あっちに行っちゃって・・」と叫んでいた。この言葉に、思い当たるような出来事はない。いつも本意とは違うことを言ってしまい、そのたびに大好きなお母さんを困らせてしまっているA君は辛いだろうなぁ、「本当は大好きって言いたいだろうに」と私は思いながらも、研修で学んだことを思い出し、A君の言動をそのまま受け止めてみようと思いついた。
 A君が「道路に飛び出して、あっちに行っちゃって・・」と怒鳴ると、私も同じように「道路に飛び出して、あっちに行っちゃって・・」と怒鳴る。それを何度か繰り返して行くと、今度はA君が「〇〇がいつも意地悪するから、叩くからいやなんだよ」と言いはじめた。私も「〇〇がいつも意地悪するから、叩くからいやなんだよ」と同じように言った。怒鳴っているというより、訴えるような言い方に変わってきた。

私は慰めようとか、何とか落ち着かせようとか考えることなく、ただ、A君に寄り添うように繰り返しているだけだったので、A君にちょっと近づけたような気持ちになった。何度か繰り返していると、いつものA君なら、「真似するな」と怒りそうなのに、どんどん体が緩んでいく。  ※ 実際は抱っこして体が触れているので、こうした体の変化が伝わり、たとえ言葉で表現しなくても、それだけ気持ちも和んでいることが解ります。

 そして、最後にA君は「お父さんとお母さんが、いなくて寂しいんだよ」。とても、小さい声でかわいらしく。同じように「お父さんとお母さんが、いなくて寂しいんだよ」とつぶやくと、A君は思わず、「うんうん」と甘えるようにうなずいた。私は涙が出そうになった。そして、「お父さんとお母さんが大好きだもんね」というと、A君は深くうなずき、安堵の表情で「みんなと、じゃがいも植えてくる」と笑顔で走っていった。

                                                                                                                                                                                                   (文責:ハンガウト)