
ハンガウトです。
一般に、自閉症は、認知機能の障害だと言われます。ところが長くつき合っていると、「私なんかより、ずうっと物事の本質を解っている」と思わされる、そんな体験がたくさんあります。おそらく、のほほんと育った私と違って、幼い頃から様々なつらさを乗り越えてきているので、ふつうは高齢になってようやく悟るようなことも、かなり早いうちから達観してしまうのだろうと思います。
その一つ、支援級に在籍していますが、言語や行動面で問題の多い中学1年生。家庭環境のおかげか、小学生の頃から、詩を読むとか英語の学習などを好んでいましたが、私から見るとそういう知識は、あまり実生活で活かせません。そこで中学に入学したとき、「せめて近所におつかいに行かれるように、オツリの計算くらいはできるようにしようよ」と、学習内容について提案をしました。
既に私の身長を遙かに超えていたので、並んで座っていても、上から私を見下ろす形になるのですが、そのとき、彼はこちらを見て鼻先で笑いました。「あれ、ちゃんと聴いてなかったのかな」と思って、再度提案。やはり、私を見下ろし、鼻先でフン!
おとなげもなく完全にムカついた私は、「こっちが真剣に提案してるのに、何よ、その態度は! 何か文句があるなら、言ってみろ!」と、言葉での会話はムリなので、筆談援助の手法で書いてもらいました。すると正確な文言は憶えていませんが、
「生活に便利なために、勉強するんじゃない」と書きました。
「ああ、そうかい、それじゃあ、何のために勉強するのさ!」と聴くと、しばらくじっと考えていましたが、やがておもむろに、「ヒトとして生きるため」と書いたのです。
これには、マイりました、まるで大きな石で頭をガツンとやられた感じ。「確かに,その通りだ、私が浅はかだった。だけど私は、ちゃんと生活することも大事だと思う気持ちも捨てきれないから、実生活に役立つことと、ヒトとして生きるための勉強と、半々でやっていこう」と、結着しました。
キミは仙人か!?
誰しも、得意なことと不得意なことがあります。行動能力だけでなく、心の成長も然りです。私たちだって、年齢のわりに成長した面と、子どもっぽい面とがありますね。かれらは、そのばらつきが大きいのだと思います。単なる発達の遅れなら、だいたい〇歳レベルだと思えば済むのですが、自閉症の場合は、未熟な部分と成熟した部分との落差が甚だしい、だから彼のように、まるで達観したようなことを言ってるくせに、一方ですごく幼い部分もたくさんある、これが、周りを困惑させる、誤解の素でしょう。
こんな例もありました。
特別支援学校小学部4年生の女の子、言葉はまったくなく、かなり重度の自閉症です。幼児期から、障がい児向けの水泳教室に通っていて、プールは大好き。小学生になって、ようやく背泳ぎができるようになりました。
毎年、障害のある子どもたちを対象とした、地区の水泳大会があり、そこに参加する選手を決める、記録会が設けられています。プールが大好きな彼女にとって、本領発揮のチャンスだと、お母さんは張り切って、事前に記録会の行われるプールへ連れて行ったり、何度もルールを言いきかせたりして、準備万端。ところが当日、本人は泳がなかったのです。あれやこれやと工夫したけれど、ガンとして泳がなかったとのこと。
お母さんはがっかり。そこで、プールには行ったのに、どんな思いで泳がなかったのか、筆談援助で訊いてみたところ、ひと言だけ書きました。
「競争は、みんなに、みんなに良くない」
これには、思わず唸ってしまいました。お母さんも、「そんなポリシーがあったのか、それじゃあ、しかたがないわね、わかった、大会は応援だけしに行こう」と、納得されました。
もひとつ、オマケ。比較的学習能力の高い、小学2年生の男の子。単語を並べて言葉も話しますが、ときどき途中でとつぜん、その場の話題に関連する歌を歌い出します。その日の話しは、家族中のハブラシを隠してしまうので、困っているということでした。実は本人は、隠しているつもりはなく、片付けてきちんと収納しているだけなのですが…。
それでも家族は、使うたびにあちこち探さなくてはならず、とても迷惑なので、なんとできないかと相談中のとき、とつぜん歌い出したのが、
♫ ひとりは皆のために~、皆はひとりのために~ ♫
たぶん、「てのひらを太陽に」という歌の一節です。
お母さんと私は2人で顔を見合わせ、「どういう意味? 双方の都合をちゃんと考えろってことか?」と、頭をひねりました。
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