先日、職場の飲み会で私と同年代の職員が「まだスマホを持っていない」とのことで、「そろそろスマホデビューしたほうがいいのではないですか?!」と若い女性陣から薦められていました。
後期高齢者ならいざ知らず、還暦をとっくに過ぎてはいるが、まだ現役で働いている人がスマホを持っていないなんて考えられない―という空気がその場には醸し出されていました。
片や私といえば「5~6年前からスマホを使っているので何を聞かれても大丈夫」と悠然と構えていました。
そして、ついに私にも女性陣から「スマホ持っているんですか?」との質問が来たのでした。
私は、「もちろん、持っていますよ」と言って得意げにスマホを差し出したのですが、その差し出したスマホの待ち受け画面を、隣にいた平成生まれの女性職員に見られてしまいました。
「えーっ、この女の人誰なんですか?」と間髪入れず質問が飛んできました。
・・・言うまでもなく私のスマホの待ち受け画面は、「テレサ・テン」の写真になっています・・・
「知らないの?」と聞くと、
「知らないです」とのことです。
「平成生まれでは、テレサ・テンの写真を見ても誰かわからないみたいだなあ」と思った私は、
「なんとか正解してもらえないかなぁ」と思いもう一枚別の写真を見せました。
すると写真ではなく、文字のほうが目に飛び込んでしまったようで、「テレサと書いてある」とその平成生まれの女性職員が叫びました。
近くで聞いていた昭和生まれの40代後半になろうかという女性職員が「テレサ・テン!」とすぐさま正解してしまいました。
私は、平成生まれの職員に正解を言ってほしかったのですが、40代後半の職員ともなると、子供の頃テレビでテレサ・テンが歌っているのをよく見ていた世代です。早々と正解したのもしかたありません。
そして、「別れの予感」とすぐにテレサの代表曲をその職員が言うと、「つぐない」と別の40代後半の女性職員も続きました。
「時の流れに身をまかせ」が最初に出ないのは意外でしたが、「テレサ・テンのこんな曲も知っていますよ」ということをアピールしたくて、敢えて言ったのかもしれません。
それはともかく、どちらもトーラスレコード時代の曲だったので、ポリドールレコード時代のテレサの曲について聞いてみました。
「ところで、『空港』という歌は知っているの?」
「えっー、『空港』なんて知らない」と言うやいなや、スマホでテレサの歌う『空港』を聴いていましたが、知らなかったとことでした。
・・・早速スマホの出番があり、すぐに『空港』が聴けたようです・・・
・・・お陰で、私がカラオケで『空港』を歌う手間が省けてしまいました・・・
私と同年代の男性職員は、「テレサ・テンといえば、まず『空港』ですよ」と言ってくれましたが、世代間ギャップの埋めがたい溝を感じた私は、「このままではテレサの『空港』は忘れ去られてしまう!」と大変な危機感を抱いたものでした。
それに、平成生まれでは、テレサの写真を見ても誰か分からなかったのです。
すでに時代は、令和へと移っていますが、私はこの世代間の溝を埋めるべく、これからも微力ながら「折に触れてテレサ・テンの素晴らしさを伝え続けなければ」と決意を新たにした次第です。
私のような影響力のない人間は、コツコツと伝えてゆくしかありませんが、世の中には(当然のことですが)影響力のある人物もいるのです。
1991年9月25日、筑摩書房からなんとも分厚い1冊の本が出版されました。中村とうよう著『地球が回る音』です。
スマホの定規アプリで厚さを測ってみると約4cmもあります。
・・・定規が見当たらず、定規アプリがあって助かりました。やはりスマホは何かと便利ですね・・・
こんな分厚い本を読む機会など殆どなかった私にとっては、とても全ては読めた代物ではありませんが、とりあえずテレサ・テンについて書かれている部分だけ読みました。
改めて中村とうよう氏の音楽的知識の豊富さには呆れるばかりです。
中村とうよう氏は、元ミュージック・マガジン編集長で、世界中の音楽に精通した音楽の専門家です。
残念ながら2011年に亡くなられましたが、熱心な音楽ファンにとって、中村とうよう氏の影響力はとても大きいのです。
その中村とうよう氏が、著書『地球が回る音』P474~P500にテレサ・テンについて書いています。
これは、1987年4月5月6月『ミュージック・マガジン』に掲載された文章を、当時テレサにインタビューしたことによって新たにはっきりした事実を加味し、大幅に訂正した記事であることが『地球が回る音』のあとがきに書かれています。
この記事の中で中村とうよう氏は次のように述べています。
『もっと深く人々の心をつかむものをテレサは持っているはずだと、気がつくべきで、…(中略)…それを見逃していたというのはウカツだった。これが純外国歌手だったらぼくももう少し早く真剣にテレサのことを考えただろう。日本語で歌って、なんとなく身近にいる錯覚があったために、つい本気でテレサを求めようとしなかったのかもしれない。 ひょっとして、読者のあなたもそうなのではないですか?』地球が回る音P476より
本当にその通りだと思います。これは、テレサが歌っていた頃を知っている世代の、かつての私を含めた多くの日本人が陥っている錯覚ではないでしょうか。
「テレサ・テンは知ってるよ」と言う日本人であっても、彼女の本当の姿を知っている人は少ないのではないかと思います。
中村とうよう氏は、この本の中で『淡淡幽情』について詳しく述べていますが、テレサの最高傑作である『淡淡幽情』でさえ、知っている日本人はそう多くはないと思います。
テレサは日本でも大変人気がある歌手ですが、身近な存在と感じれば感じるほど、かえって彼女のスケールの大きさが見えなくなっているのかもしれません。
さて、中村とうよう氏は『中村とうようの収集百珍』という本も書かれていますが、その中に氏が集めてきた世界中の様々な珍品が紹介されています。
この本には、テレサ・テンのレコード等も紹介されていますが、テレサについて書いている箇所を少しご紹介します。
『アメリカやヨーロッパの大歌手の誰をとってみても、デビューから30年ものあいだ、艶を失わず生気も衰えずに歌い続けられた人というと、誰がいるだろう―これが掛け値なしのホンネであり、ぼくはテレサを世界最高の女性歌手と評価しているのである。』中村とうようの収集百珍P91より
世界中の音楽を知り尽くしている中村とうよう氏が、デビューから30年ものあいだ、艶を失わず生気も衰えずに歌い続けられたのは、テレサ・テンのみと評されていることに少し驚くとともに、改めてテレサ・テンという歌手の素晴らしさを再認識させられました。
テレサは子供の頃から歌が大好きで、様々な歌謡コンクールで優勝していますが、レコードを最初に出したのが14歳です。宇宙レコードからリリースされたAWK003がデビュー盤で、この後宇宙レコードから3年間で20枚のレコード(LP)をリリースしています。
当時十代半ばのテレサは、あらゆる国の様々なジャンルの歌を器用に歌いこなしていますが、この時代のテレサの歌を聴くと彼女の才能の片鱗が伺われます。
中村とうよう氏の言葉を借りれば、艶と生気に溢れた歌声ということになると思います。
当時の宇宙レコードのLPを中村氏はかなり手に入れたとのことで、羨ましい限りです。
この『中村とうようの収集百珍』が出版された2005年当時でも、「入手は難しい」と書かれていますので、今となっては入手は絶望的です。
テレサの古いLPは、ネットオークションで見かけたことがありますが、高いものになると10万円を超えたことがありました。
私などは、生活がままならなくなるので、とてもそこまでの出費は無理です。
CDやYou Tubeででも当時のテレサの歌を聴くことができればありがたいものです。
あれこれ書きましたが、結論を言うとすれば、中村とうよう氏のような世界中の音楽に精通した専門家がテレサ・テンを評して、『世界最高の女性歌手』と述べられたことが、私にとってはこの上ない歓びであり、こうして私がテレサのことを書く上での大きな励みになっているということです。
ところで、地球が回る音とは、どんな音なのでしょうか?
地球の自転速度は、赤道上で時速約1,700kmですから、かなり速い速度です。新幹線の5倍強、ジェット機の約2倍になるとのことです。
こんなに速く地球が自転しているのに、特に激しく風を切る音がしないのはなぜでしょう?
小学生にする質問のようですが、答えは空気も建物も人も地球と一緒に同じスピードで動いているからです。
ということで、地球が回る音は特に何も聞こえないということになります。
でもそれでは身も蓋もないので、もう少し考えてみることにしましょう。
地球が回るということは、時間が経過しているということです。
それに連れて、地球上では様々な音がしています。
最近では、ロシアのウクライナ侵攻により、建物が爆弾で破壊される音がしています。原始時代には、決してこんな音はしなかったはずです。本当に嫌な音です。
季節がめぐり秋になると、秋の夜長を鳴き通す、鈴虫や松虫の声が聴こえてきます。こちらは、原始時代から聴こえていたのかもしれない、何とも風流な音です。
さすがに地球レベルになると、世代間ギャップを埋め合わせるに余りある、太古の昔から現在まで響き続けている音もあるようです。
さて、中村とうよう氏が聴いていた音は、世界中の音楽ということになるのでしょうか。録音、再生技術の発達により、直接歌手の歌を聴かなくても、レコードやCDを再生し、聴くことができます。インターネットやパソコンや冒頭話題にしたスマホの登場により、もっと幅広い方法で、様々な音楽を聴くことができるようになりました。原始時代には到底考えられなかったことでしょう。
つまり、地球が回る音とは、地球上で生活している個々人、その人ならではの身近な音ということになります。
『世界最高の女性歌手』とテレサのことを評した中村とうよう氏だけに、彼の地球が回る音の中には、テレサ・テンの歌声がかなりの割合で含まれていたに違いありません。
私事で恐縮ですが、私が自家用車を運転している時には、必ずと言ってよいほどカーステレオからテレサ・テンの『淡淡幽情』が流れています。
子供の頃、同じ歌ばかり歌っていたので、親から「馬鹿の一つ覚え」と言われて育ってきた私だけに、今でもそのくせは抜けず、いつも聴こえてくるのはテレサの『淡淡幽情』です。
厚さ約4cmもある『気球が回る音』を著された中村とうよう氏に比して、私がいかに狭い世界でしか生きられない人間なのか、つくづく思い知らされました。
この年まで生きてきてしまっては、今更どうにもなりませんので、テレサ・テンという世代を超えて響き続けるスケールの大きな歌手一人に絞り、これからも私なりの地球が回る音を聴き続けてゆきたいと、改めて決意した次第です。
※参考資料
・『地球が回る音』中村とうよう著 筑摩書房
・『中村とうようの収集百珍』中村とうよう著 株式会社ミュージック・マガジン