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テレサ・テン(鄧麗君、Teresa Teng)の残照

『美空ひばり』さんへの憧れ

6月24日は、昭和の時代を代表する大スター『美空ひばり』さんの命日です。
1989年(平成元年)に、52歳という若さで亡くなられました。

美空ひばりさんは、11歳でレコードデビューを果たし、映画にも出演し、10代前半で、大スターへの階段を駆けのぼっていった天才少女でした。
その後は、押しも押されもせぬ歌謡界の大御所として輝き続けました。

ボイストレーナーや声楽家という方々が、ひばりさんの歌唱力を高く評価している動画を見たことがありますが、迫力のある低い声から、高音の裏声まで、自在に操ることが出来る天才歌手だったと思います。私個人的には、ひばりさんの低くて迫力のある声がとても好きでした。

ところで、テレサ・テンさんは、幼い頃より美空ひばりさんの『りんご追分』をよく歌っていたようで、美空ひばりさんは憧れの存在だったようです。

テレサとひばりさんのエピソードが元マネージャ兼プロデューサーの西田裕司さんが書かれた『追憶のテレサ・テン』という本の中に載っていますので、少し紹介させていただきます。

【テレサは小さな頃から、ひばりさんの歌を聞いて育った。ひばりさんの影響を受けて、日本語の歌を歌ってみたい、日本の紅白に出たいという夢を幼い頃から抱いていた。ひばりさんはテレサにとってアイドルだったのだ。そしてテレサは、心からひばりさんを尊敬していた。】…西田裕司著『追憶のテレサ・テン』P102より

次に、ひばりさんと歌番組で一緒になったときの様子です。

【ひばりさんとテレサの出番には時間の開きがあり、テレサのほうが先だった。 …中略… テレサにひばりさんを見せてあげたい、僕はそう考えた。 …中略… テレサの収録が終わったあと、僕はテレサを客席に座らせたのである。 ひばりさんがカメラの前に現れると、テレサはひばりさんをまっすぐな視線で凝視していた。歌うひばりさんの姿を拝むようにしながら曲を聞くのだ。 そしてひばりさんが歌い終わると、彼女はその場ですっと席を立ち、直立不動で拍手を送った。テレサはずっと立ったまま拍手を送り続けたのである。そして最後に、静かにひばりさんに敬礼をした。】…西田裕司著『追憶のテレサ・テン』P104~P105より

そして、美空ひばりさんが亡くなったときの様子です。

【ひばりさんが亡くなったとき、テレサは深い悲しみに沈んだ。泣き続けた。そしてひばりさんの『川の流れのように』を熱唱した。】…西田裕司著『追憶のテレサ・テン』P110より

テレサ・テンさんが、どれほど美空ひばりさんを敬愛していたのか、よくわかるエピソードの数々です。

ところで、生前、美空ひばりさんがよく話していた言葉に「今日の自分に 明日は勝つ」があります。この言葉を聞くと、ひばりさんが大スターであるがゆえに課せられた、日々を生きてゆくうえでの到達目標となっていたことが感じられます。「今日の自分に 明日は勝つ」と念じて、ひばりさんの生き方に少しでも近づけたらと思うのですが、向上心が旺盛で、自分に厳しい人でないと実行できない言葉だと、つくづく痛感する日々です。

また、ひばりさんはこんなことも言われたことがあります。
「歌を自分のものにするには、100回は繰り返し歌うことです」(私の記憶の中にある言葉で、表現は正確ではないかもしれません)
これは、ひばりさんが生前、確かテレビで語った言葉ですが、今も私の心の中に響き続けています。下手の横好きで、私もカラオケで歌うことがありますが、特に最近の歌はメロディーが複雑になり、自分のものにできません。もう諦めようかと思ったとき、ひばりさんが「100回は繰り返し歌うこと」と言っていたことを思い出します。すると、諦めかけた気持ちが収まり、また気を取り直し、練習をしてみる気になるのです。100回程度歌ってみると、あまり上手くはならないまでも、なんとか格好がつくようにはなります。決して上手く歌おうなんて大それたことは考えないで、ただただ美空ひばりさんの言葉を信じて、練習するしかありませんが、上手い下手はともかく、歌が好きなわけですから、100回も歌えるだけで幸せというものです。

このように凡庸な、ただの歌好きの私でさえ、ひばりさんから多大な影響を受けて、好きな歌をカラオケで歌っているわけです。ましてや、幼い頃からひばりさんが大好きで、尊敬していたテレサが影響を受けないわけはありません。

「三つ子の魂百まで」と言われるように、人間にとって、幼い頃の体験は大変重要であり、一生涯影響を受け続けることも多いのではないでしょうか。

「ひばりさんのように、いつか歌手になって、大勢のお客さんの前で歌い、みんなに楽しんでもらいたい。」…幼い頃からテレサは、そのように思っていたのかもしれません。

時は流れ、幼い頃の夢?が実現し、まるでひばりさんの後を追うように13歳でテレビ局の専属歌手になり、14歳で宇宙レコードからデビューを果たしたテレサ…やがて、期せずして『台湾の美空ひばり』と呼ばれるようになったのです。

台湾の天才少女だったテレサは、やがて香港を皮切りにアジア各国へと進出し、圧倒的な人気を得て『アジアの歌姫』と呼ばれるまでになってゆきました。

ひばりさんにしても、テレサにしても、平凡な生き方しかできない私などには、想像もできないような大スターへの階段をのぼりつめていった方です。

さぞかし、多忙な日々を送られたのではないでしょうか。また、大勢の人に与える影響の甚大なこと、計り知れません。

多くのファンに慕われた二人でしたが、美空ひばりさんは1989年(平成元年)に亡くなられ、テレサ・テンさんも美空ひばりさんの後を追うように、6年後の1995年(平成7年)に亡くなってしまいました。
美空ひばりさんが52歳、テレサ・テンさんが42歳という若さでした。

天才少女歌手としてデビューし、やがて押しも押されもせぬ大スターになり、惜しまれながら若くして亡くなってしまう…どうやら、二人の大まかな人生の軌道は、似ているところがあるようです。

ただ、いくら似ているとは言え、お二人とも若くして亡くなられたことは、大変残念なことです。もっと生きて、もっと歌ってほしかったと思うのは、残された多くの人々に共通した気持ちではないでしょうか。

でも、二度と元には戻れない峻厳な死という事実を前にすると、いったい人の一生とは何だろうと、深く考えさせられてしまいます。

そんな時、必ずと言ってよいほど思い出す言葉があります。
それは、重い病を抱えて、日々を精一杯生き、大人になる前に亡くなってしまったある無名の少女の言葉です。

【どれだけ生きたかじゃなくて、どう生きたかだと思う】 高橋佳子著『1億総自己ベストの時代』第1章 P141より

幼い頃から、重い病を抱えて、日々死と向き合い、生きてきた十数年の歳月。子供にとっては、あまりにも重い毎日を生き、そして死んでいった少女が残した言葉は、痛いほど心に響きます。

ひばりさんもテレサ・テンさんも、歌手として多くのファンに喜び、希望、感動、癒しを与え、多くのファンから慕われる、大スターでした。10代前半からの歌手としての歩みは、かけがえのない貴重な体験の連続だったと思います。

そして、若くして亡くなった二人の大スターは、今でも多くの人々に慕われ続け、影響を与え続けているのです。

テレサが敬愛してやまなかった美空ひばりさんの命日にあたり、やはり人の一生は「どれだけ生きたかではなく、どう生きたか」が問われるのだと、改めて心に刻んだ次第です。

 

※参考資料
・西田裕司著『追憶のテレサ・テン』サンマーク出版刊
・平野久美子著『テレサ・テンが見た夢』筑摩書房刊
・高橋佳子著『1億総自己ベストの時代』三宝出版刊

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