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テレサ・テン(鄧麗君、Teresa Teng)の残照

『民主化支援コンサート』

1989年4月15日に中国の改革派の指導者として人気のあった胡耀邦元総書記が73歳で亡くなりました。その後、中国では胡耀邦追悼の学生たちによるデモ行進が起こり、胡耀邦の名誉回復、政府の民主化促進を求める集会が北京など各地で開かれるようになりました。

やがて、5月20日に戒厳令がしかれると、香港でも大規模な抗議デモが開始されます。参加者は、200万人にまで膨れ上がり、香港の住民のほぼ三人にひとりが参加したことになります。

そして、5月27日には、香港のハッピー・ヴァレー競馬場で中国民主化支援のマラソンコンサートが開催され、テレビ中継されました。30万人が集まったこのコンサートをテレビで見ていたテレサは、親族に止められていたにもかかわらず、参加を決意し、『我的家在山的那一邊』(私の家は山の向こう)を歌ったのです。

その時のテレサは、「民主萬歳」と朱色で書かれた鉢巻をし、トーラスレコードのサイン色紙に「反対 軍管」(軍事独裁体制を許すな)、「我愛 民主」(私は民主主義を愛します)と書いたプラカードを首からぶら下げ、ノーメイクにサングラスという「いでたち」で登場しました。そして、それまで人前で歌ったことのない小さい頃から聞いていた思い出の曲『我的家在山的那一邊』(私の家は山の向こう)を歌い上げると、思わず「うわっ」と叫んだのでした。

この時が、テレサ・テンという一人の歌手が、単に歌手であるというだけでなく、華人と呼ばれる中国系の人々に大きな政治的影響を与える人物になった瞬間だと思います。中国政府にとって、絶大な人気があるテレサの影響力が、大変な脅威となったことは想像に難くありません。

この時のコンサートの様子を伝えるニュースをテレビで見たテレサのお母さんが、テレサに電話をかけた時の様子が、有田芳生さんの著書に載っていますので、少し紹介させていただきます。お母さんがテレサに話すところから始まります。

【「どうして集会に出たの」強い口調で問い質したうえでさらにこう続けた。「何で怒っているかわかるでしょう。さんざん言ったはずよ。お金を贈るのはいいけれど運動に参加はしないでって。なのにあなたはすぐに集会に出た。あなたはどうしてわたしの話を聞かなかったの。参加するなと言ったでしょ」じっと聞いていたテレサは母に向かってこう言った。「何ともいえない気持ちになったんです。学生がかわいそうだと思って集会に出ました」】 有田芳生著『私の家は山の向こう』第四章 悲しい自由 より

テレサのお母さんが、テレサの身の安全を願って、政治活動に参加しないでほしいと言ったのは、肉親の情として当然のことでしょう。テレサのファンの人達も、お母さんと同じ思いを抱いた方も多かったのではないでしょうか。でも、テレサは民主化支援コンサートで堂々と歌ってしまったのです。

テレサは、本当に愛情深い人でした。彼女には、特に女性らしい母性愛を強く感じます。「学生がかわいそうだ」と語った言葉にも、その母性愛が溢れていると思います。たとえ自らの身の安全が脅かされようとも、愛する学生たちを応援するために歌わずにはいられなかったのでしょう。

さて、ここでもう一人、元トーラスレコード㈱社長の舟木稔さんが、テレサのこの時の行動について書かれた文章が『鄧麗君 歌姫-特選テレサ・テンの世界-歌物語』の中にありますので、ご紹介したいと思います。

【さて、彼女の人柄に触れてみたい。彼女を思うと、私が初めてあったころから実にもの静かな女性との印象が強かった。どこに、あの天安門の学生支援運動(香港のハッピーバレーで開かれた30万人集会)に自ら積極的に参加するような激しい心を持っていたかと驚きであった。普段の彼女は心優しい女性で人一倍、親兄弟を思い、両親を尊敬していた。また会社のスタッフへの気配りと優しさを常に忘れず、スタッフもまた彼女との仕事により一層がんばり、相互の信頼を築き上げた。】

と、このような文章でテレサの人柄を紹介しておられます。日頃は優しくてもの静かなテレサが、鉢巻をし、プラカードをぶら下げて、民主化支援コンサートで堂々と歌ったことが、舟木さんにとっては大変な驚きであったとのことです。

よく『女性は弱いが、母は強い』というようなことが言われます。世の中に、子供を守ろうとする時の母親ほど強いものはありません。テレサにとっては、民主化運動をしている学生たちが自分の子供や兄弟のような気持ちになったのかもしれません。守るべき学生たちを支援したい一心で歌ったのでしょう。そうなると、もう自らの身の安全のことなど、どこかへ吹き飛んでいたに違いありません。

私がテレサを好きな理由の一つは、彼女がこの民主化支援コンサートで見せたような、一途でひたむきな深い愛情を彼女に感じるからです。テレサの両親の故郷は中国大陸ですし、テレサは台湾で生まれ育ったとはいえ、世界中で暮らしている華人たちは、皆同じ民族という仲間意識も感じていたのでしょう。テレサが華人たちを愛する時、人間が勝手に決めた国境などという概念は、もはや存在しないに等しくなるのです。

民主化支援コンサートで、テレサが堂々と『我的家在山的那一邊』(私の家は山の向こう)を歌ったことを知った時、私は彼女がますます好きになりました。本当に人々を愛するなら、政治に無関心でいられるわけがありません。

テレサが1989年5月27日の民主化支援コンサートでとった行動は、テレサの愛情がどれほど深いかを如実に示した出来事だったと思います。

この時のテレサの勇姿に倣って、愛する人々を守るために我を忘れて生きてゆける、そんな人間になれたらどんなに素晴らしいだろうか、と思わずにはいられません。


※参考資料
・有田芳生著『私の家は山の向こう』文芸春秋刊
・『鄧麗君 歌姫-特選テレサ・テンの世界-歌物語』
・平野久美子著『テレサ・テンが見た夢』筑摩書房刊
・『テレサ・テン 鄧麗君 没後一周年追悼展』朝日新聞社発行

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