つらつら日暮らし

1月9日「とんちの日」(令和5年度版)

今日1月9日は「とんちの日」とされる。理由は、「1月9日」の語呂合わせで、「一休さん」となり、更に、一休さんが得意だったとされる「とんち」の日となったわけである。なお、ここでいう一休さんとは、日本の室町期に活動した、臨済宗大徳寺派の一休宗純禅師(1394~1481)のことである。アニメ『一休さん』にもなったりしたので、「とんちの人」というイメージが強いが、実際の一休禅師はかなり素っ頓狂なことをしていた破戒僧であった。ただし、詩作も有名で、『狂雲集』などは、是非お読みいただくことを勧めたい。

そんな一休さんだが、室町時代には既に、「逸話」が人々に愛されていたようで、出版業が盛んとなる江戸時代以降は、『一休ばなし』と呼ばれる文献が繰り返し編集、刊行されるなどしているが、あくまでも、創作された話であることには留意していただきたい。つまり、『一休ばなし』に載っている「とんち」は、一休禅師本人ではなく、作家達によるものだといえるのである。

今回もそういった一冊から「とんち」の様子を紹介したい。

 一休和尚が12・13歳頃の時、師の坊で仕えて、物の読み方や手習いなどをしておられたが、その時は夜が寒い季節であった。師の坊が鮭の干物を煮物として、ただ独りで食べて、一休には豆腐のようなものを食べさせたのだが、一休がそれを見て、「およそ、出家とは生臭物を食べないようにと教わりましたが、和尚さまが鮭の干物を食べられるとは。食べても良いのなら、我等も食べたい」と申した。
 師の坊は、それを面白く思えて、「そなたのような小僧の身でありながら、生臭物を食べると、たちまちに罰が当たるぞ」と仰ったので、一休は、眉をひそめて、しばらく思案して申すには、「同じ人間の身でありながら、小僧にのみ罰が当たることがあるでしょうか。老僧こそ、生臭物を食べれば、罰が当たることでしょう」と、あざ笑うように申したところ、師の坊が宣うに、「幼い身であるのに、大人びた物言いだな。しかし、老僧だからといって許されたわけでは無い。我々は、(鮭の干物に)引導を渡して食べているのだ」と仰ったところ、(一休は)「その引導とはどのようなことでしょうか。少し、承りたく存じます」と申したので、「なんとも、生意気な小僧じゃ。よし、引導して聞かせよう」と、皿に載せた鮭の干物を捧げて、箸を取って伸ばして、
《そなたは元々枯れ木のようなものだ。助けたいと思うが、生きて二度と水中で泳ぐことは出来ない。この愚僧に食べられて、仏果を得たまえ、喝。》
 と、仰って、干物を食べたのだった。
 一休は、それをしっかりと聞くと、また眉をひそめて思案し、夜が明けるのも待ちかねて、急いで魚屋に走って行き、大ぶりの鯉を一本買って来て、味噌汁を作って、この鯉をしっかりと握り、包丁を取って、(鯉の)細首をぶら下げたままで打ち落とそうとしているところ、師の坊が出て来てご覧になり、「これは言語道断の振る舞いだ。昨夜も示した通り、幼い小僧の身で、鮭の干物であっても無用だといったが、その生きて働く物の命を害して食べようとするのは、もってのほかのことである」と戒められた。
 しかし、一休は少しも騒がずに、「我等も、(鯉に)引導を渡します」といって、平気な様子で申し上げた。
 師の坊も呆れ果てつつ大いに笑って、「それはどのような引導じゃ。もし、作法に合ったものであれば、許そう。合っていないのであれば、罰から逃すことは無いぞ」といって、警策を小脇に抱えて、「引導はどうやるのだ」と責められた。
 一休は少しも騒がずに、「いざ、引導を渡します」といって、左手では鯉の細首をしっかりと握り、右手では包丁を斜めに構えて申すには、
《そなたは元来、生の木のようである。助けようとすれば逃げることだろう。生きて水中で泳ぐよりは、むしろ愚僧の糞となれ、喝。》
 と申すと、鯉の細首をすっぱりと打ち落とし、ぐつぐつと煮てしっかりと食べ、とぼけた様子でいたので、師の坊はこれを聞くと、「さてもよき引導ぶりで、しかも変わった心得だ。昨夜の私の引導では、鮭の干物は仏果を得ずに、糞になることだろう。そなたの場合は、鯉は糞にはならずに、仏果を得ることだろう。さても、活機を持った人だ。禅僧そのものだな小僧殿」というと、警策をカラリと捨てて、舌を振るって一休を褒め、「三年になるネズミを、今年生まれたばかりの子猫が捕る、とはこういうことだ。とかく、そなたはただ者ではない」と感じ入った。
 その案のごとく、一休は程なく、天下の老和尚と自ら言うほどの活祖師となり、一休という名前を千歳に伝えられ、田を耕す爺、糊をする尼まで、物語の最後までも、それぞと人が言って持て囃したので、本当に、ただ者では無かったのである。
    『一休ばなし』巻1、岩波書店『仮名草子集(新日本古典大系74)』328~331頁、訳は当方


以上は、当方による現代語訳となる。話の経緯などを簡単に書いておくと、一休さんが若い時分に師匠に仕えていたときの一話である。とはいえ、「小僧と老僧」という組み合わせは、日本の昔話でも、典型となる話の組み立てであり、それに基づいてこの話が出来ているのだと思われる。

そこで、話として、ここでは「鮭の干物(原文は「から鮭」)」となっているが、昔話などでは、「水飴」なども多用される。その辺の変化は、話し手・聞き手が身近に感じられるかどうか、というところである。そして、『一休ばなし』の場合、楽しむのは大人であるので、今回のような複雑さを持つ内容となっている。

この話の特徴としては、僧侶が「肉食」をしたことの、罪の問題についてである。そして、ポイントは、「一休さんによる引導の巧みさ」である。まず、前者は、中国以東の大乗仏教に於いて、大きな影響を与えた『梵網経』の「四十八軽戒」に含まれる「第三食肉戒」がある。

なんじ仏子、ことさらに肉を食せんや。一切の肉は食することを得ざれ。それ肉を食せば大慈悲の仏性の種子を断ず。一切衆生を見て、捨て去らん。是の故に一切の菩薩は、一切衆生の肉を食することを得ざれ。肉を食せば無量の罪を得。もし故に食すれば、軽垢罪を犯ず。
    『梵網経』「第三食肉戒」


以上のように、端的に禁止されている。しかも、「軽垢罪」というように、これは決して重い罪では無いはずなのだが、「それ肉を食せば大慈悲の仏性の種子を断ず」とあって、慈悲心であったり、仏性などが失われてしまうので、結果として重罪になってしまうというものである。よって、一休さんの前で鮭の干物を食べたところ、それを詰られた師僧は、自分は「引導」をして食べている、と述べたのであった。この「引導」というのは、本来、衆生を仏道に「引き、導くこと」を意味しているが、この場合は、動物である魚類の鮭、或いは鯉を「引導する」ということになっている。

その際、老僧については、上記の通り、既に死している「鮭の干物」に対し「自分に食べられて仏果を得よ」などと、どこかの危険な宗教のようなこじつけをしているが、一休さんの方は、むしろ、生きた鯉を殺しつつ、食べてやるから自分の糞になれ、と述べている。それは、魚の真実を示すものであり、如実知見であるから、むしろ、仏道への引導として契っていることになる。

そのため、師僧はその点を褒めたのであった。自分は、さもありがたいことをしてやっているかのようなこじつけだったが、一休さんの引導には、ただ魚の実相を示すだけなので、恣意が無いのである。引導とは、恣意の無いところに初めて起こり得るので、この場合は一休さんの方が正しいのである。

その上で、魚を食べるのが正しいかどうか、という点や、善悪といった倫理的な問題は残る。この辺が、実はとても難しかったりするし、この辺を極論すると、宗教と倫理の距離感ばかりを感じてしまうのだが、それはまた、機会を改めて考えることとしよう。おそらく、『一休ばなし』の作者も、そこまで深刻には考えていないためである。

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