五台山秘魔巖和尚、常に一つの木叉を持す。
毎に僧の来たるを見るに礼拝し、即ち頸を叉却して云く、
那箇の魔魅か教えて汝を出家せしむるや。
那箇の魔魅か教えて汝を行脚せしむるや。
道得すれば也た叉下に死す。
道不得なれば也た叉下に死す。
速やかに道え。
学僧の、対え有る者鮮し。
法眼、代りて云く、命を乞う。
法灯、代りて云く、但だ頸を引いて之を示す。
玄覚、代りて云く、老児家、叉子を放却して得るなり。
『景徳伝灯録』巻10
この五台山秘魔巖和尚であるが、馬祖道一禅師の孫弟子に当たる。年代的には、8世紀後半から9世紀にかけて活動した人かと思われる。それで、今回注目した「一木叉」であるが、この人の行実を見ても、詳細は不明である。
なお、「木叉」は本来「木のさすまた」を意味していたと思われる。この秘魔巖和尚だが、別の僧侶が来ると礼拝して、いきなり相手の頸を、木叉にて差し挟んだという。そして、どのような魔に欺されて出家しているのか?行脚しているのか?と問うと、もし、言い得ればこのまま死ぬ、言い得なくてもこのまま死ぬ、と告げるのであった。
学人で、この問いに答え得た者は、少なかったという。そのため、他の禅僧が、この問答について著語したようだが、以上の通りである。しかし、この命が係った状況で、何を言い得れば良いのだろうか?実際には、言い得ても、言い得なくても、死ぬといっているので、何か明確な、想定される答えがあるわけでは無い。
ところで、以下が妄想的記事たる所以だが、「木叉」というと、どうしても「波羅提木叉」の略だと思ってしまう。そう考えると、「戒」のことなので、「一木叉」が「不殺生戒」だったとすれば、首を絞めたまま殺すことも無かったと思うのだが、「老児家、叉子を放却して得るなり」という著語の真意が気になる。
なんだか、全然分からない人だな。灯史に残っているほどなので、一廉の人物だったとは思うのだが・・・
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