つらつら日暮らし

五月一日に仏性義を学ぶ

今日は5月1日である。旧暦の日付ではあるが、この日に行われた上堂語を見出したので、学んでみたい。

 五月旦の上堂。
 仏性義を知らんと欲せば、当に時節因縁を観ずべし。時節既に至れば、其の理自ら彰わる。
 如何なるか是れ彰わる底の理。
 如何なるか是れ時節因縁。
 霏霏たる梅雨、危層に洒ぎ、五月の山房の冷、氷に似たり。
    『仏国禅師語録』巻上「再住浄智禅寺語録」


これは、仏国禅師・無学祖元禅師(1226~1286)の上堂語である。なお、雨の話となっているが、旧暦5月1日は、現在の暦で6月初め頃になることもあるので、梅雨の時期にも係る内容だとして良いのだろう。

そこで、無学禅師はこの5月1日の上堂語で、「仏性義」を問うておられる。この「仏性義を知らんと欲せば、当に時節因縁を観ずべし」の部分は中国宋代の禅僧達が、「経に云く」として繰り返し提唱などをされるのだが、直接同じ語句となると、典拠は良く分からないようである。しかし、概念としては大乗『大般涅槃経』巻28「師子吼菩薩品第十一之二」に、「欲見仏性、応当観察時節形色」という語句が出ているので、この辺を意識したものともされる。

なお、無学禅師と全く同じ字句で、「時節既に至れば、其の理自ら彰わる」まで共通しているとなると、圜悟克勤禅師の語録などに何箇所か出ているようなので、無学禅師はその辺を参照されたものであろう。意味としては、仏性の義を知りたいのであれば、まさに、時節・因縁を観るべきである。その時節が既に至ったのであれば、仏性の道理が自ずから現れる、ということである。

そのため、無学禅師は、大衆に対し、仏性の義が現れることの意義と、時節因縁についてそれぞれ尋ねておられるが、御自身、偈をもって上堂を締め括られた。なお、この語だが、典拠は雪竇重顕禅師の『祖英集』巻5の「迷悟相返」という偈頌にある「霏霏梅雨灑危層、五月山房冷似氷」である。意味は、途切れることの無い梅雨が危層(禅寺の屋根が重なった建物のことか)に降り注ぎ、五月の山房の冷たさは氷のようなものだ、としており、まさに、当時の5月1日そのものの様子を示すことで、時節因縁としての仏性の義を示された、ということになる。

今日は、まだ梅雨ではないのだろうが、春の嵐となる地域もあるようだ。強い風雨に注意したい。

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