拝して後、一両歩進み合掌問訊〈問訊は深かるべし〉して云く、「生死事大、無常迅速、伏して望むらくは和尚、大慈大悲、哀愍して仏祖の大戒を稟受することを聴許したまえ」。
『仏祖正伝菩薩戒作法』「戒師請拝」
まず、上記一節が最も最初に示された「大戒」表記だといえよう。『仏祖正伝菩薩戒作法』が、中国天童山で、如浄禅師から教わったものという伝承上での話だが、ここで、「仏祖の大戒」という表現が見える。この場合の「大戒」の定義は分からないが、どちらにしても、「偉大なる戒」や「大乗戒」という意味が想定されよう。
・夫れ諸仏の大戒は、諸仏の護持したもう所なり。仏仏の相授有り、祖祖の相伝有り。
・帰依仏法僧宝を称える時、諸仏の大戒を得るなり。
『教授戒文』
上記文献の成立に関しては、色々と議論があるのだが、まずは、本書の一写本の系統である瑩山禅師『教授文』の見解を受けつつ、道元禅師が仰っていたことの一説を、懐奘禅師が筆録されたもの、と拝受しておきたい。それで、ここでは「諸仏の大戒」となっている。この場合、やはり「偉大なる戒」という意味が一番分かりやすい気がしている。
教主、所化に示して曰く、娑婆世界、南閻浮提、釈迦牟尼仏の遺法中、信心受とは、先受菩薩戒法師の所に於いて、菩薩清浄大戒を聴受し、至重心を発す。
『出家略作法』
道元禅師に係るとされる『出家略作法』の跋文に相当する箇所では、「菩薩清浄大戒」という言い方をしている。これはまさに、菩薩戒を讃えた表現であるといえよう。
仏言、殺父殺母は懺悔しつべし、謗法は懺悔すべからず。
おほよそ、小見狐疑の道は、仏本意にあらず。仏法の大道は、小乗、およぶところなきなり。諸仏の、大戒を正伝すること、附法蔵の祖道のほかには、ありとしれるものなし。
『正法眼蔵』「伝衣」巻
こちらにも、諸仏が大戒を正伝していることについて、附法蔵の祖師以外には知られていないという指摘である。これも、先ほどの『教授戒文』と同じ立場の見解であるといえ、また、祖師の系譜自体を重視された御様子も見られる。
第一百三十八願、我れ未来に正覚を成し已りて、若し女人有りて、我法に於いて、出家学道して、大戒を受けんと欲すれば、願をして成就せしむ。若し爾らずば、正覚と成らず。
『正法眼蔵』「出家功徳」巻
これは、『悲華経』を元に、日本で作られたとされる『釈迦如来五百大願経』からの引用である。そこで、「大戒」とあるが、これは「大僧戒」のことである。要するに、女性が出家学道を願うのであれば、大戒を受けさせてあげたいという釈尊の誓願を、『正法眼蔵』で引用されたのである。よく、道元禅師が女性の成仏を否定した、という人がいるが、それは誤りで、出家成仏を肯定される中で在家成仏や女身成仏を否定されたのである。出家をすれば、男女の相に非ずなので、現段階に於いて在家の女性であっても、後に出家の功徳で成仏に至る、という単純な話である。なお、男性であっても出家成仏なので、条件は同じである。
善男子よ、汝、既に三聚清浄戒を受く、応に十戒を受くべし。是れ乃ち諸仏の菩薩清浄大戒なり。
『正法眼蔵』「受戒」巻
ここが、何故「善男子」のみであるのか?これは謎の1つだが、儀礼に関わるところなので、敢えて略記されたという風に解釈せざるを得ないと思われる。何故ならば、先に挙げた「出家功徳」巻に「しるべし、いま出家する善男子・善女人、みな世尊の往昔の大願力にたすけられて、さはりなく出家・受戒することをえたり。如来すでに誓願して出家せしめまします。あきらかにしりぬ、最尊最上の大功徳なりといふことを」とされていることは、極めて大きい。
そして、ここでも、先の『出家略作法』と同じように「菩薩清浄大戒」という表記が見える。これまでと同様に、菩薩戒の功徳を讃えたものといえよう。
以上まで、確認してみたが、道元禅師は「大戒」という表現を使われるが、それは菩薩戒を讃えることを第一にしておられることが分かった。非常に簡単ではあるが、以上としておきたい。
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