◎問ふ、去れば死したる父母の精霊に対して、追考を営むの法なれば、未だ両親の存命中は、此法を修するに及ばざるや。
○答ふ、然らず。此法を修するときは、現在の父母は福寿増長し、且つ死して後といへども、悪趣を転じて善処に生じ、生生世世の間だ限りもなき福楽自在の果報を得るのみならず、六親眷属に至るまで、現世は安穏後生と善処の二世安楽を得るの法なり、又過去七世の父母及び九族に至るまで、その悪趣にあるものは、此法の功力によりて、或は天堂に生れ替り、或は浄土に往生すべきなり
『盆の由来』第二問答・5頁
まず、この問いは面白い。それは、『盂蘭盆経』という経典自体が、目連尊者の亡母に対して供養を届かせる話なのである。よって、「盂蘭盆会」は既に亡くなられた方相手の供養だと思われているために、出て来た問いである。
そこで、高田先生の答えはまず、盂蘭盆会の供養を行うとき、今生きている父母は福寿増長するという。しかも、もし、この後に亡くなるようなことがあっても、必ず善処(要は、天上界や人間界)に生まれるとし、福楽自在の果報を得るともしている。
つまり、生前の両親にも届くことを明言した。
そして、更には「六親眷属」や「七世の父母」及び「九族」という親戚や先祖にも及ぶという。例えば「九族」については、道元禅師もご両親の供養をされたときに、こう仰っている。
源亜相忌の上堂に、云く、
父の恩に報ずる、乃ち世尊の勝躅なり。知恩報恩底の句、作麼生か道ん、「恩を棄て早く入る無為の郷。霜露盍ぞ消えざらん慧日の光。九族生天、猶、慶ぶべし、二親の報地、豈、荒唐ならんや」。
『永平広録』巻7-524上堂
以上の通りである。道元禅師はご自身が出家をされたことによって、両親の死後の世界が、荒れているはずがない(悪いところに生まれているはずがない)としているのである。更には、「九族」という親戚も皆、天上界に生まれているという。
しかし、これは出家者の話である。それでは在家者にとってはどうか?参照しておきたい一節がある。
此を以て衆の善根を修行し 父母劬労の徳に報答す
存者は福楽にして寿窮まり無く 亡者は苦を離れて安養に生ず
四恩三有諸もろの含識 三塗八難苦の衆生
倶に悔過を蒙りて瑕疵を洗い 尽く輪回を出でて浄土に生ぜん
施食会「回向偈」、高田先生の読みに従って訓読
これは、曹洞宗で伝統的に用いられている施食会の「回向偈」である。要するに、施食供養をした功徳を巡らすわけだが、ここにしっかりと、「存する者は福楽にして寿窮まり無く 亡き者は苦を離れ安養に生ず」とあって、生前の人たちも、亡き人たちも、皆が功徳を得ている様子が分かる。
おそらく、高田先生はこの「回向偈」を元に発言しておられるはずなのだ。なお、今回見ている『盆の由来』の末尾には、この「回向偈」をわざわざ入れておられる。つまり、供養は生死を超えて皆に及ぶのである。
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