凡そ僧尼、詐りて方便を為して、名を他に移せば、還俗。律に依りて罪科せよ。
其れ所由の人は与同罪。
『日本思想大系3』220~221頁を参照して、訓読は拙僧
さて、この一節は、色々なことが省略され過ぎていて、本文をただ読んだだけでは何を言っているか分からない。しかし、『令義解』を見てみると、ここの箇所は、「謂く、僧尼、己が公験を以て俗人に授け与へ、其れをして僧尼と為さしむるを云ふ」(『令義解』巻2・11丁表、原典に従って訓読)としており、公験というのは、律令時代の国家が、特定の人物に特権を認める際に出した証明書の一種であるから、この場合は出家を認めた『度牒』などを意味していたわけである。
つまり、僧尼が方便を巡らして、自らが持っている『度牒』を複写(偽造)するなどして、他の者を僧尼(出家者)にすることを、「名を他に移」すと表現している。なお、『令義解』では、僧尼が本の僧尼のままである時、或いは、自らは在家になる場合などもあるとしつつ、両方とも同罪だとし、還俗は基本(その場合、後者の人は罪という形式にはなりにくい)となるが、合わせて、『律』によって罪を課すように説いている。
この辺は、『日本思想大系』の補註なども見たが、「戸婚律」に引っかかるそうで、私的な理由で入道を自称したり、或いはこれを出家させた者は、還俗はその通りだが、「杖一百」または「徒一年」とあるから、杖で打たれたり、受刑者を獄に拘禁して、一定の年数(この場合は1年)労役に服せしめる刑罰が存在した。ただし、2つ以上の罰が重なった場合は、重い方を1つのみ課すようなので、この場合は「徒一年」だとされる。また、寺の三綱で、この事情を知っていながら止めなかった場合には、「与同罪」だとしているのだが、これは本条の後半にも係ってくるのだが、所由を知っている場合は、止めなくてはならなかった。
既に、「三綱」の重大さは【第十四条・任僧綱条(『僧尼令』を学ぶ・14)】で述べた通りであるから、再論はしないでも良かろう。
【参考資料】
・井上・関・土田・青木各氏校注『日本思想大系3 律令』岩波書店・1976年
・『令義解』巻2・塙保己一校(全10巻)寛政12年(1800)本
・釈雲照補注『僧尼令』森江佐七・1882年
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