『沙石集』は全10巻ですが、この第10巻が、最後の巻になります。そして、第10巻目には「本・末」とあって、現在は「末」の部分、つまり最後の巻の最後の部分になります。末尾に付された「識語」の読解を通して、本書成立の経緯などについて、改めて確認してみたいと思います。
この物語を書き始めたのは、弘安二年であった。その後、放っておいて、空しく2~3年が過ぎてから、今年書き継いで終わった。よって、前後で言葉が一致しないこともある。後の人が不審がるかもしれないので、これを記しておく。
拙僧ヘタレ訳
前回の記事では、「述懐の事」の記事を紹介しながら、無住がこの本を、どのような想いで書いていたのかを見てみました。そこで、年号が「弘安六年中秋」とありましたので、1283年のことであり、無住が58歳の時となります。そして書き始めたのは、その4年前であることが上記一節から分かるのですが、間に2~3年ブランクがあるので、実質的には2年ほどで書いたということなのでしょう。
ただし、小学館の『新編日本古典文学全集』本の末尾には、無住関係の略年表が収録されているのですが、見てみても、上記の事柄を除くと、弟子による書写や刊行、或いは無住が裏書きをしたことなどが記されており、どうも、これらの結果、複数の異本が出来た、ということのようです。
ところで、古本には以下のような奥書があるようです。
また、同じことを重ねて書いたこともある。老後の忘却のためである。心有る人は、必ず添削をしてくれるように。
拙僧ヘタレ訳
これはおそらく、先に挙げた奥書からかなり後に書かれたのでしょう。つまり、無住本人が文章を加えるなどしましたが、それがよくよく考えたら、かつて書いたところに同じ文章が見付かったのでしょう。58歳の時であれば、流石にまだこれは無いと思いますので、後での追記分だと判断いたしました。
ところで、この『沙石集』の連載記事は、2005年4月22日が最初でした。それから、足かけ14年でようやく読み終わった感じです。いや、最初の方の記事はとっくに忘れているのですが、たまに、何か世間の興味に引っかかったのか、多くのヒット数が稼げる場合もあります。ただし、拙僧の文章は、現代語訳しか載せていないので、余り検索上位でのヒットということはありません。とはいえ、後半部分はほぼ全文の現代語訳を付けておきましたので、ご参考になれば幸いです。
次回以降は、まだ何にするか決めていないのですが、可能であれば仏教説話系の何かを読んでみたいと思っております。もしかしたら、江戸時代になって編まれた『沙石集』類似本などが良いかとも思っております。
【参考資料】
・筑土鈴寛校訂『沙石集(上・下)』岩波文庫、1943年第1刷、1997年第3刷
・小島孝之訳注『沙石集』新編日本古典文学全集、小学館・2001年
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