つらつら日暮らし

『出家人受菩薩戒法』に見る「安名」について

『出家人受菩薩戒法』というのは、中国南北朝時代に行われていた「受菩薩戒法」の一種であり、特に敦煌文献の本書は梁の武帝(464~549)に因んで書写された一冊であるという。これまでも複数の研究が存在しているのだが、拙僧は当文献中に見える「安名」について気になったので、採り上げておきたい(このことを指摘する先行研究もあるとのこと)。

まず、「安名」に関する文脈は以下の通りである。

◎仏像前に三帰戒終わって、
 〈此は是れ智者〉今日、仏の教えに随従する善男子某甲有って、自ら逮立せんと欲して、今、仏の威神慈善根力を承けて、菩薩名を立せんと為す。名は某甲。
 是の語を作し已りて、智者、又た応に言うべし。善男子、諦聴せよ。今、十方の三宝の前に於いて、汝の為に菩薩の名を立す。名は某甲。
 受者、先ず応に言うべし、唯然。
    『出家人受菩薩戒法』「羯磨四」、拙僧ヘタレ訓読


訓読には自信が無いので、必要であれば読者の皆さまにおかれては、テキストをご確認願いたい。

そこで、この一節について拙僧自身が理解したところは、まずはこの一節全体が「羯磨(受戒作法)」の一部である。そして、「仏像前」とある通りで、師となるべき人はいるのだが、それであっても仏像前に三帰依などを行っているのである。これは、本来的に菩薩戒が、仏から直接受けるべきものだった、という中国に於いて受容された観念に基づいている。

それで、三帰戒が終わったら、実質的な「戒師」に相当する「智者(善知識)」は、改めて仏の威神力を承ける形で、菩薩の名前を立てたとし、その名前を告げるのである。そして、更に智者自らもまた、十方の三宝の加被力を承ける形で、改めて菩薩の名を立てようとして、その名前を告げているのである。

いわば、ここで「菩薩名」という形で、後のいわゆる「法名(戒名)授与(=安名)」が行われたのである。その時、内容としては仏から受けたこととし、実質的には智者から受けるという二重的な受け方をしているが、とにかく「菩薩戒を受けた者」になったのである。

問題はこれが出家者として扱われていたか?であるが、この段階では出家者・在家者に共通していたと思われる。この儀式に於いては、ここまでの儀礼が終わった後で、続いて「受摂大威儀戒法五」へと続き、そこでは受者(善男子)について「出家人」と呼び方を変えている。つまり、「羯磨四」に於いては、どこまでも「菩薩戒弟子」となったのみで、出家者に至る前段階、というくらいだったのだろう。

そのため、当時の南朝の皇帝は、自らのことを「菩薩戒弟子皇帝○○」などと名乗ったという。いわば、菩薩戒を受けた者として「菩薩戒弟子」だったのである。そして、拙僧的には、「安名」の儀礼が、なかなか中国まで遡れなかったのだが、ここに皇帝に因む「勅写」という位置付けの明確な文献が確認されたことで、やはり「安名」授与というのが広く行われ、そこに明確な功徳を得たいと願う人達がいたことを想起されたことが極めて喜ばしいと思うのであった。

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