つらつら日暮らし

「心事未了」考

明治時代に作られた曹洞宗教団の規則を見ていくと、「心事未了」という語句があるのに気付く。例えば以下のような文脈である。

  叢林行脚証明状
〈行脚僧本人の肩書きや名前、年月日などを挿入〉
明治何年月日ヨリ何年月日ニ至ル迄何寺会下(師家ノ寺ヲ云)ニ安居シ心事ヲ了ス(又ハ心事未了ト雖操行過失ナシ)依テ之ヲ証明ス
〈寺院名、維那の名前、年月日、住職の署名などを挿入〉
    『現行曹洞宗法規大全』明教社・明治28年、58~59頁


まず、そもそも「心事ヲ了ス」とは何かと言えば、禅宗の修行を通して大悟し、仏心を明らかにしたことをいう。しかし、ここでは、「心事未了」という語句も見える。それに関連して、拙僧所持の「叢林行脚証明状」を紹介しておきたい。

明治廿四年冬○○寺結制ニ安居シ開單ニ至ルマテ心事未了ト雖モ操行過失ナシ因テ之ヲ証明ス

これは、明治25年当時、現在の愛知県内の寺院に行脚していた学人へ授与された「証明状」の一部である。余り細かいことは申し上げられないけれども、署名している方のお一人には、後に大本山總持寺にて貫首を務められた禅師さまのお名前も見える。そして、上記内容については、「心事未了」ということではあるが、「叢林行脚」が証明されたことを意味している。

現在では無くなってしまったのだが、明治時代の曹洞宗僧侶の「法階」には、「入衆」といって、安居に随喜したことを示す段階も存在していた。そして、その段階で、大悟徹底したか否かを、この「心事」の了未了をもって判別していたのである。

とはいえ、そういってしまうと、「心事ヲ了」した者のみが認められるイメージがあるかもしれない。だがそれは、江戸時代の曹洞宗内の議論を知らない人の見解である。江戸時代元禄期を代表する学僧・卍山道白禅師は、以下のように述べておられる。

亦た一師印証に嗣書有り、信を表するなり。人に利鈍根有るも、法に二致有ること無し。表信を表示すると雖も、亦た、利鈍悟不を論ぜず。且つ、嗣法の時節、悟未悟に拘わらず、会不会に落ちず、因縁現成して、寂然として感通す。
    卍山道白禅師『答客議』、『鷹峰卍山和尚広録』巻48


以上のことから、江戸時代元禄期の嗣法の様子について、「悟未悟に拘わらず」とされている通り、どちらでも良いとしているのである。必要なのは、因縁現成だとされる。この論理を、先ほどの叢林行脚に当て嵌めると、叢林での安居という因縁現成して、その中で務めるべきことを務めれば、大悟の有無は問われないというべきか。

それを、「心事未了ト雖操行過失ナシ」としているのであり、いわば行持綿密のところが、そのまま仏法の受持なのである。

正伝の坐禅は悟未悟に拘らず、坐禅を行ふを例となす、要するに正伝三昧は、思量分別文字言句の能く究尽する処にあらず、
    秋野孝道禅師『正伝三昧の大意』明治34年、16~17頁


拙僧のような者は、ただただ禅師さまの御垂示を拝受させていただくのみである。

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