一旦如来の金口から発して戒律と決定せられたものは、如来自らの外に誰も変更することの出来ない金剛律である。この万古不変の如来の戒律を、随方毘尼などと云ふ全く用途の別なる原則によつて、変更せんとするが如きは〈以下略〉
「(第八十八)随方毘尼」項、河口慧海師『在家仏教』世界文庫刊行会・大正15年、233~234頁
〈以下略〉以下は、人権的問題も含む表現だったので、省略した。要するに、「随方毘尼はけしからん」という事を述べているだけなので、上記の通りとしておきたい。
ということで、ここで気になったのは「金剛律」である。要するに、「金剛」とはダイヤモンドの如き硬い鉱物を意味する言葉であるから、河口師は如来が定めた戒律は、「万古不変」であって、如来以外誰も変更できないと述べているが、当方としては少し違和感を覚える。
まず、一般的な北伝の漢訳仏典の中には「金剛律」という表現は出て来ない。おそらくは、河口師の造語である。よって、これが事実かどうかは、別の見解などを見ていかねばなるまい。そこで、良く知られているのは、『涅槃経』に於ける釈尊の遺言である。
阿難、今日より始め、諸もろの比丘、小小戒を捨てることを聴す。上下相い呼ぶには、当に順じて礼度すべし、斯れ則ち出家敬順の法なり。
『長阿含経』巻4「遊行経第二後」
この通り、釈尊は阿難尊者に遺した言葉の中で、比丘達が「小小戒」を捨てることを許可した。この「小小戒」の解釈自体が少し難しいところではあるが、しかし、釈尊自身が、自分が定めた戒の中で、軽重を定め、軽いものは捨てても良いと述べたのだから、とても「万古不変」というべき状況とはならない。
ただし、この阿難尊者への遺言については、後日談というか、否定された経緯も知られている。『五分律』巻30には、摩訶迦葉尊者と阿難尊者との間で、この一件の確認が行われ、迦葉尊者は阿難尊者に「小小戒を捨てても良いと仰ったことは分かったが、その「小小戒」とは何を指すのか?」という質問をしたところ、阿難尊者は「確認してません」と答えたので、結局、小小戒を捨てることは無くなったというのである。
いつの時代も大事なのは、ホウレンソウなのだということが良く分かる故事であった。なお、このやり取りについては、また、機会を得て記事にしてみたいと思っている。
当初の記事の目的から、かなり逸脱してしまったが、この迦葉尊者と阿難尊者とのやり取りは、いつ見ても興味深いことが紹介できたので、個人的には良い。
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