今日は「みどりの日」に因み、「みどり(緑・碧・翠)」に関わる記事でもアップしようと思うが、1つ思い付いたのが、『碧巌録』である。中国臨済宗の圜悟克勤禅師が、雪竇重顕禅師の頌古100則に自ら評唱などを付した文献なのですが、この名前に「碧」が入っている。「碧巖」で「みどりの岩山」っていうことなのでしょうが、調べてみると、「碧巖に住し……」とかいう表現が見えたので、その名前の付いた山か、寺院にでも住していたのかと思いきや、夾山の霊泉院にあった「住持の居室の号」であるとのこと。
さて、改めて「みどり」に関わる文脈を引いて論じてみようと思うが、なかなか良いのが無い。そこで、道元禅師が詠まれた偈頌から1首、引用してみたい。
春雪夜
桃李雪霜愛処に非ず、青松翠竹幾くの雲煙ぞ、
鶏皮鶴髪縦え染むこと無くとも、名利抛て来って数十年。
『永平広録』巻10-偈頌71
これは、「春雪夜」という題名が付いている。同じ題を持つ偈頌はもう1首ある。題名だけ考えれば素直に、冬も終わって春になっているときに、雪が降ったのでそれを題材にしたものといえる。とはいえ、当時の春といえば、今の2月くらいだから、日本は全国的に雪が積もることはあったのである。
ここで詠まれている内容について、拙僧の拙い把握だと大体以下の様な話であろう。つまり、桃李の華や雪霜とは愛すべき処ではないという。その理由は、必ず生滅するためである。千変万化するこの世界の有り様を示しているとはいえるが、本来執着できない物に執着することこそ、我が苦の始まりである。対象は思い通りにならないのに、しかし、こちらは思い通りにしたいと思っており、その葛藤こそが苦に繋がる。
その点、青い松、翠の竹というのは、常緑樹の名の通り、年間通して、その葉が枯れることは無い。よって、我等が依るべき「法」に譬えられている。無常なる世間を脱し、常住なる仏法に依る、それを期し表現しているといえる。冬の雪は中々融けませんが、春の雪は融けやすい、道元禅師はそのことも思っておられたのではなかろうか。前半二句は、その対比をこそ学ぶべきだといえよう。
さて、後半だが、「鶏皮鶴髪」というのは、中国宋代に成立した『楽邦文類』という浄土教系の文献で、「勧化径路修行頌」(作は善導大師)という頌にも出て来る句だが、浄土教の言葉ではなく、一般的な漢語のようである。この修行頌は、今どれほどに豊かでも、老病死を免れることは出来ないのだから、ただ真実の道を進むべきだと主張する内容である。その真実の道を、この頌では「但、阿弥陀仏を念ず」としている。いわゆる、観念の念仏、観仏である。その冒頭で、「漸漸に鶏皮鶴髪」としている。
江戸時代の『永平広録』の註釈書などを調べようと思ったら、拙僧が普段参照している祖山本と、江戸期に刊行された卍山本とでは、この偈頌、全体的に字句が変わっているようで、卍山本には「鶏皮鶴髪」は見えない。では、この意は何かといえば、「鶏皮」というのは、シワが多い皮膚を意味する。そして、「鶴」は「白」を意味するから、「鶴髪」というのは「白髪」を意味する。よって、歳を取ったということである。善導の頌は、「段々と歳を取ってきた・・・」と述べている。道元禅師の頌は、「歳を取っても、煩悩に染まることが無く」という意味であろう。
よって、この偈頌は、直ちに消え去るであろう春の雪に因んで、我々をとらわれ(煩悩・執着)から解放する様に説示してくださったといえる。そして、翠豊かな竹の如く、常住なる法にこそ、依るべきなのである。我々にとって、豊かな心とは、キチッと道理を弁え、その上で柔軟に生きることに他ならない。柔軟さとは、世間的な是非善悪の上にあるものでは無い。それらは虚しい、一時的な事象であるから、むしろあらゆる事象から、普遍なる法の様子を探り当てていく精神力こそが求められている。
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